今日も、犬とベッドシェア -166ページ目

今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

自分の結婚観は世間的な慣例よりも「憲法24条」寄りな事、随所にオリジナリティを取り入れたいという事でホテルの人の勧めもあり挙式は人前式 にした(最初はなぜかキリスト教式という事で話が進んでいた)。


そもそもなぜ「父親と腕を組んで歩くのか?」私はこれが理解できなかった…そして、その由来を知った時、腕を組まなくて本当に良かったとこころから思った。


教会式でバージンロードを父親が娘の手を引いて行き、途中で新郎に代わるのは「売り渡しの儀式」です。

日本では花嫁と父親が歩む通路を「バージンロード(和製英語)」と呼んで赤い絨毯が敷かれたところがありますが、元来は処女性を象徴した白地のシーツなのです。

かつての花嫁は売り物であったため、絶対にバージンでなければならなかったからです。

その花嫁を買主に引き渡す儀式をする場所が、バージンロードです。

結婚式は「女性の売買儀式」であり、これはヨーロッパだけでなく世界のどの国でも似たり寄ったりで、日本も例外ではありません。

「嫁に貰う」「嫁にやる」「嫁入りする」等の言葉がいまだに使われているのはその名残です。

http://www.nijo.co.jp/yomoyama/y_yomo12.htm より引用


神前式も「イエ」の結びつきを強く重んじる傾向がありますが…海外はもっとすごいですね、もろ「人身売買」じゃないですか。


ちなみに海外ではキリスト教式(プロテスタントだけ?)でも「新郎と一緒に入場」が主流になっているようです…「父親と一緒」というのは世界的には時代遅れなのかも。


憲法24条についてはみなさんご存じですよね。


「婚姻は両性の合意にのみよって成立する~」


というあれです…近年、これを改悪しようという動きがあるようでとても恐ろしいことです。


私は「親の所有物」ではありませんし、パートナーとは「お互いの合意の上」で結婚することを決めました。


人前式の場合、司会者によっては冒頭で憲法第24条の条文を読み上げる場合もあります…私達がそうだった。


なので、バージンロードも「一人で歩かせていただきました」…これは自分の結婚観であるのと同時に父親に対する「報復」の意味合いもありました。


あえて一緒に歩かないことで「あなたを父親とは認めない」という意味もありますし、世間では父親と腕を組んで歩くのが主流となっているのであえて「招待客」として扱ってみたのですが、今思えばもっと大勢の前でやってやればよかったかな?とか、いっそ参加させないというのもアリだったかと思うことがあります。


ちなみに「感謝の手紙」とか「花束贈呈」といった親が登場する要素は一切取り入れませんでした、乾杯のあいさつも私がやりました。


ちなみにパートナーは私の暴挙ともいえる行為にかなり驚いたようで…親戚も呼んでいたら絶対に変な目で見られてたと今でも言っていました、あの人には私のこの気持ちは一生理解できないだろうな。


郊外といえどもホテルウエディングでしたのでやはり「場の雰囲気にふさわしい格式」というのがありますよね…「音を立てて物を食べない」という、テーブルマナーの基本のきも出来ないような人はホテルの人にも良く思われなかったかもしれない。


いつも「周囲の私に対するイメージ」があの人のせいで悪く思われたかもしれない…と思うと嫌悪感がこみ上げてきます、この気持ちは体中の血液をすべて入れ替えるか、法的に絶縁するか、いっそ死んでくれでもしないかぎり治まらないと思います


私がなぜ、ここまで父親を嫌悪するのか…これはまた、別の記事で。



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私の生きる道、生きてきた道。


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とある身近な人物から、「ひどく屈辱的な発言をされて」心身共にボロボロになってしまいました。

何を言われたかは…気が向いたら書くかもしれません。

今日はソファの位置 が元に戻っていた、この1週間の間に何があったのだろう?


実はこの記事を書いた日 に図々しく「誕生日のプレゼント」を要求して来ました…どこまで図々しいんだ、散々人を苦しめておきながら、平気でこういうことするなんて本当に人間のクズだと思う。


今回は週末に起きた家の中の騒動と、この記事に書いた事を話してきました。


どうも私の場合…確かにAC要素はあるけど、いわゆる子供の頃に虐待を受けたとか過干渉だったというような典型的ACではなく、根底に発達障害があって「そのことをずっとスルーされ続けてきた事に対する恨み」と世間の「親(特に母親)は無条件で尊敬するべき」という風潮と自分の気持ちがずれていてすり合わせが出来ないこと、


そして…


「親とはこうあるべき」というイメージと現実のギャップが埋められない


のではないのでは?と言われたけど、それは一理あるのか否かは私にはわからない。


私が、過去に参加していたミーティングで馴染めなかったり、他の人の話を聞いて具合が悪くなったのはそのせいかもしれないと言われた。


他にミーティングは「12ステップ」というテキストを使っていて、それに書いてあることが私には理解できない、他の人に質問しても「これは考えるものではなく、スピリチュアルなもので”感じるもの”だから」と、私が納得できる回答が得られなかった事があった事も話した。


去年からネッコに出入りして色んな当事者と交流する機会が増えたけど、こういう話はしたことがないし、出来る機会も少ない事(ミクシィのコミュで一部の人とこういう話をするくらい)こういう話を出来る場所や聞いてくれる人がいないという事を話したうえで


「発達障害でAC要素も入っちゃってる人達の会」というのを立ち上げたらどうだろうか?ネッコの人に協力を仰げば出来ないこともなさそう…と話したら、そういうのをやりたいなら「最低でも1人は”集団療法に精通した専門家”の立ち会いが必要」と言われてしまった。


内容がとても難しい事…当事者だけで集まると収拾がつかなくなる可能性が高くなること、発達障害のある人にはかえって精神衛生上悪い影響の方が多いかもしれない可能性を指摘されました。


「集団療法に精通してる専門家」…と言われても、当てもコネもない。


今お話ししてる彼女も集団療法は専門外だし、結構難しい分野のようで知り合いにもいないそうだ。


あと、私の「熱しやすく冷めやすい」性格を考えると会を持続させることが難しいのでは?と言われてしまいました。


過去にアートセラピーを中心にしたグループ療法 に参加していた事はあるのですが、いわゆるグループカウンセリングは一度も経験ありません。


興味はあるんですが、今通ってる病院ではやっていないんですよね。


最後にネッコのイベントの話になったので、私は参加したこともないけど「研究会」や「勉強会」もあるらしいと話した…私はいつも、月に1~2回遊びに行ってスタッフの人やその場に居合わせた人と話すのが中心だと話したら、Tomokoさんと当事者会とのつながり方はそれくらい気軽な感じの方が合っていると思う…と言われました。


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