今日も、犬とベッドシェア -148ページ目

今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

…水曜日に診察行ってきました。


月曜にお話ししている彼女が最近とても「手厳しい」のはなぜ?もしかして、意地悪されてる?という最近思っている不安要素を聞いてみました。


そしたら、思いもよらぬ回答が…Tomokoさんの事が本当に心配だからこそ手厳しいのだと。


彼女は私の極端すぎる物事の考え方の振れ幅を出来るだけ小さくしようとしてこういう発言 をしたと言っていた、おばぁちゃんが言うには発達障害って「認知の歪み」でもあるから、その歪みを少しでも修正して「物事に対して折り合いを付けていくのも練習のひとつ」なのだそうです。


「自分の事を100%理解してくれる人はいない」というのにも同意していた、そもそも自分の事すら全部わからないのに相手の事が全部わかる人なんていたら気持ち悪いでしょ?って言っていた。


〇〇先生の時や、去年戻った最初の頃と接し方が変わったのは「私が抱えてる問題」が変わったからで、初めの頃は不安感や抑うつ感がメインだったけど、今は発達の偏りから来る問題が中心になっているからとのことだった。


不安や抑うつがひどい人には全面的に支持するような態度を取るけど、発達の偏りから来る認知の歪みの場合、指示的な雰囲気になると言っていた。


考え方があまりにも現実離れしている時はそれに対して全面的に同意するのではなく、否定しない程度に現実的な考え方を提示していくそうなのだ。


例えば前回のように


「私には自分の事を100%理解してくれる人が必要不可欠なのにそれがいない」


という発言に対して


「そんな人はどこにもいないけど、今のパートナーは理解しようと努力してるよ、そういう所も認めてあげないと…なんでも極端に考えるのはよくないよ、どこかで折り合いを付けて行かないと」


という一連のやり取りがそうである。


きっと、これが不安が強い時だったり、うつ状態の時だったら同じこと話しても全く違う反応が返ってきたかもしれないし、○○先生とお話ししていた時だったらきっと黙って聞いているだけだったかもしれない。


おばぁちゃんが言うには考え方を変えるだけでもだいぶ状況が変わってくると言っていた。


10割中6割がわかってくれている場合…「6割しかわかってくれない」と考えるのではなく「6割はわかってくれている」と言う風に思うだけでもだいぶ違ってくるとのこと。


おばぁちゃんと月曜日担当の彼女の意見が同じときは「Tomokoさんが物事に対する考え方や見方を少しずつ変えていく練習が必要な時なんだよ」と言われた。


最後にどうしても気になっていた事を聞いてきた…今の状況から考えると8:2~7:3くらいの割合で「広汎性発達障害の方がメインになってる」とのことだった。


月曜にも言われたけど、どっちが強いかを視覚化することは不可能だし、発達障害のあるほとんどの人はどちらの要素も持っているのが普通だから「どっちの症状で困っているのか?」という事を考えていけばいいと言われました。


と、いう事は「アスペルガーしか診ない」と謳っている某大学病院では、複数の障害要素を持っている人には「正しい診断は行われていない」…ということになるのだけれど、これは重大な問題ですね。


月曜日の思いもよらぬ一言に少しどころかかなり落ち込んでいたけれど、それは私の完全な誤解という事がわかってだいぶ立ち直る事が出来ました。


そういえば、いつのまにか文章が書けるようになりました、みなさんお騒がせしました。


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私の生きる道、生きてきた道。

私の生きる道、生きてきた道。

私は○○先生とあの関係を保っていた方が幸せだったのかもしれない。


どうしてそう思うのか?…私には「常に100%自分の事を理解してくれる人」が必要不可欠で今、はそういう存在がいないから。


彼と離ればなれになった後、私は(職業人としての)彼のような人が理想になっていた…ああいう人が好きなのだ、でもあの人とは「ちがう関係」を築くことは出来ないというのは頭の片隅で理解していたので彼と結婚したいとは思ったことはなかった。


というか「白衣を着ていない『ただの人』としての○○先生には興味が無い」と言った方が正しいかもしれない。


でも、どこかでその代わりになってくれる人を常に探している…今のパートナーがその代わりになってくれているか?と聞かれたら「ノー」だと思う、仮に「イエス」だとしたら私はこれまで何度も「離婚」という考えが出てくることはないだろうし、実際に離婚調停の申し立てに裁判所へ行く寸前までにはならなかったと思う。


昨日、非常にキツイ一言を言われた


「自分の事だけを100%理解してくれる人なんて存在しないんだよ」


最近手厳しいなぁとは思っていたけど、そこまで言わなくても…と思った。


発言の撤回を要求とかそんな冗談を書いていられないほどにへこんでしまい、今でも立ち直れない。


傷ついたとかそんなレベルではない、私がずっと探し続けていたものを全面的に否定されてしまったのだ…これまでの私の労力って一体なんだったんだろう?


私の気持ちは承認欲求とは違う物だと思う…ただ、私のありのままを全て受け入れてくれる人が、そういう人が近くにいないとダメなのだ。


私は少しでも「否定される」ことに対して非常に強い恐怖心や不安感を持っているところがある。


他人…特に異性に対しては、無意識のうちに〇〇先生と比較してしまう。


「あれが違う」「ここが違う」と違うところばかりを探し出してしまう、そして少しでも自分の欲求(特に性的なもの)を求められるのがとても嫌だった…少しでも彼に近い人を求めるようになったけどいつまで経っても見つけることが出来なかった。


私の周囲の人は誰も私のありのままを理解してくれないのだ、そんな風に考えるとものすごく強い寂しさを通り越して「絶望感」すら感じるほどの孤独感に押しつぶされそうになる。


今の私には「本当の意味での『理解者』という存在が全くいない状態にある…この寂しさは一生、埋められないような気がしてならない。


そして…「今のパートナーは、一緒に病院に来てくれたり、私が苦手な事を率先してやったりして、少しずつだけどTomokoさんの事を理解しようとしてるんだよ」って言われた。


結局のところ、私は「存在しないもの」を追い続けていたことになるのだろうか?


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私の生きる道、生きてきた道。


私の生きる道、生きてきた道。

やっぱり、前みたいに充実した記事が書けなくなってきている気がする。


ネタが切れたというよりも「文章力がガタ落ちした」のがその原因だと思う…全然文章が思いつかないのだ。


ここ最近は私の「主たる障害が何なのか?」という事がものすごく気になってそれが頭にまとわりついて仕方ない…どっちつかずという非常にあいまいな状態というのがなんだか許せないのだ。


私はあらゆる物事に対して「はっきりしていない」のがとても許せない…だから、自分の意思をハッキリと表示しない親が嫌いで仕方なかった、今も嫌いだけど。


ちなみに手紙を送って1ヶ月ほど経つけど、いまだに謝罪の一言もない。


どうせあの宗教キ〇ガイ女のことだから、また宗教にすがりついてるんだろう…いっそのことカルト宗教にでものめり込んで多額の金銭を巻き上げられるとか洗脳されるとか一度ひどい目にあえばいい、それで私に助けを求めてこようが「宗教の自由」を理由に拒絶しようと思う。


すでに携帯は着信拒否にしてある。


話を戻して、やっぱり先日の診察の時に言われた一言がどうしても気になる…おばぁちゃんには28日に会うのであの時の質問の意味と、私の主たる障害は何なのか?を、今度はきちんと教えて欲しいという事を伝えようと思う。


そして、9月…いよいよ私の主催するグループのプレオープンがあと1週間に迫って来た。


実は今から緊張している、当日上手く話せるか?うっかり口を滑らせてしまわないか?今更中止しますというわけにはいかない。


もう、やるしかない。


今考えていることがある…このグループが開催したら、私はネッコから離れようかと思っている。


最初行ったときは「私が探していた場所はここだ」と思えるほどだったけど、しばらく出入りしているうちにだんだんと「違和感」を感じるようになってきたのだ。


当事者会に対する考え方とか、その場の人間関係について「自分の考えとは違うもの」を暑くなってからしばらく行かなくなって、ちょっと離れたところから見渡してみると…私の求めている物とは何か違うもの、を超越して「必要のない物」を感じるようになってしまった。


当事者会に対する考え方や、私の作ったグループの運営方針についてはこちらのブログ をご覧ください。


簡潔に表現すると「ネッコは私の居場所ではない」ということだ。


なぜ、こう考えるようになったかについての具体的な理由については今この場では伏せます…もしかしたら、そのうち記事に書くかもしれないし、私の主催するミーティングで話すかもしれません(Star☆会則を読んでいただければだいたい想像はつくかと思います)。


今はこの件について何か聞かれてもお答えするつもりは一切ありません。


そういえば、このブログの最初のタイトルは日本語で「空っぽの”私”を探して」というタイトルでした…去年の誕生日に今のタイトルに変更しましたが、やっぱり私は空っぽのままなのかもしれません。


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私の生きる道、生きてきた道。


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