やっぱり、前みたいに充実した記事が書けなくなってきている気がする。
ネタが切れたというよりも「文章力がガタ落ちした」のがその原因だと思う…全然文章が思いつかないのだ。
ここ最近は私の「主たる障害が何なのか?」という事がものすごく気になってそれが頭にまとわりついて仕方ない…どっちつかずという非常にあいまいな状態というのがなんだか許せないのだ。
私はあらゆる物事に対して「はっきりしていない」のがとても許せない…だから、自分の意思をハッキリと表示しない親が嫌いで仕方なかった、今も嫌いだけど。
ちなみに手紙を送って1ヶ月ほど経つけど、いまだに謝罪の一言もない。
どうせあの宗教キ〇ガイ女のことだから、また宗教にすがりついてるんだろう…いっそのことカルト宗教にでものめり込んで多額の金銭を巻き上げられるとか洗脳されるとか一度ひどい目にあえばいい、それで私に助けを求めてこようが「宗教の自由」を理由に拒絶しようと思う。
すでに携帯は着信拒否にしてある。
話を戻して、やっぱり先日の診察の時に言われた一言がどうしても気になる…おばぁちゃんには28日に会うのであの時の質問の意味と、私の主たる障害は何なのか?を、今度はきちんと教えて欲しいという事を伝えようと思う。
そして、9月…いよいよ私の主催するグループのプレオープンがあと1週間に迫って来た。
実は今から緊張している、当日上手く話せるか?うっかり口を滑らせてしまわないか?今更中止しますというわけにはいかない。
もう、やるしかない。
今考えていることがある…このグループが開催したら、私はネッコから離れようかと思っている。
最初行ったときは「私が探していた場所はここだ」と思えるほどだったけど、しばらく出入りしているうちにだんだんと「違和感」を感じるようになってきたのだ。
当事者会に対する考え方とか、その場の人間関係について「自分の考えとは違うもの」を暑くなってからしばらく行かなくなって、ちょっと離れたところから見渡してみると…私の求めている物とは何か違うもの、を超越して「必要のない物」を感じるようになってしまった。
当事者会に対する考え方や、私の作ったグループの運営方針についてはこちらのブログ をご覧ください。
簡潔に表現すると「ネッコは私の居場所ではない」ということだ。
なぜ、こう考えるようになったかについての具体的な理由については今この場では伏せます…もしかしたら、そのうち記事に書くかもしれないし、私の主催するミーティングで話すかもしれません(Star☆会則を読んでいただければだいたい想像はつくかと思います)。
今はこの件について何か聞かれてもお答えするつもりは一切ありません。
そういえば、このブログの最初のタイトルは日本語で「空っぽの”私”を探して」というタイトルでした…去年の誕生日に今のタイトルに変更しましたが、やっぱり私は空っぽのままなのかもしれません。