またまた、車椅子ユーザーの"障がい者様"が燃えてますね…今度は映画館だって。
「自分は配慮、優遇されて当たり前」って思考の人…妊婦様とか子持ち(子連れ)様は結構前から言われてるけど、これは「障がい(もしくは碍)者様」だな。
妊婦/子持ち様との違いは…いずれ出産するとか子供が成長するとかのように期間が限定的ではない事、あと障害者の場合「配慮しなきゃダメ」って法的に義務付けられてしまった事だと思う。
ちょっと前から障害種別問わず、本人やその取り巻き達が伝家の宝刀の如く「合理的配慮」という言葉を振りかざし、様々な無茶振りをしてくる光景が目に余るようになってきた。
二言目にこの言葉を使う人、総じて権利意識ばかりが肥大しているので少しでも自分の意に反する態度や言動をしたと見なすと、まるで鬼の首を取ったかのように「差別だー!!」と騒いで大抵マスコミを巻き込み、現場を知らない綺麗事が大好きな「障害者の専門家」が机上の空論を語ってやれ「社会が悪い」とか「心のバリア云々」と掩護射撃をする。
そもそもこの「合理的配慮」って言葉は唱えるだけで、相手が自分の思い通りになる魔法の呪文ではないはず…だから、どこまでが配慮でどこからがカスハラ/不当要求なのかの境界線を調べてみたけど…まぁ、国も自治体も
「障害者(障がい者様含む)の要望には出来る限り応えてあげましょうね、少しでも下手に扱ったら差別だからな」
みたいな文言ばっかり…カスタマーハラスメントや不当要求に関しては「これをやったらアウト」という基準が明確化されていて、顧客側に対しても「相手の立場を考えろ」と釘を刺しているのに、これが障害者相手になったとたんに「配慮や思いやりの強要」に徹する姿勢になる。
でも、こういう風潮だけで障がい者様が出来上がるのか?は疑問だ…なぜなら、世の中の障害者はみんながみんな「障がい者様」じゃないから。
ではなぜ、障がい者様が発生してしまうのか?あくまでも個人的な考えですが…
- 異様なまでのポジティブ思考
- 過剰な被害者意識
- 当事者意識が強すぎる
- 障害がアイデンティティになってる
などの要素をこじらせると障がい者様の出来上がり…になってしまうような気がする。
こういう人達のなにが厄介って、やたら「声がデカイ」ことなんですよね…あたかも自分の意見を全体の考えみたいに主張するから、障がい者様じゃない障害者にまでいらん誤解や偏見が増長される。
今風にいうと「ノイジーマイノリティ」というやつだ。
何でも多数決で強行する数の暴力もどうかと思うが、ノイジーマイノリティもかなりウザい。
私も退院してからしばらくは、松葉杖ついて外出していた時期があったけど「周囲の人が私に気を使ったり配慮するのが当然」なんて微塵も思わなかったし、逆に気を使わせてしまってごめんね…と思うくらい、こちらから何も言わずとも電車で席を譲ってくれたり、お店の人に「お手伝いしましょうか?」と声をかけられる事が多かった。
ネットの書き込みでよく見る「ヘルプマークぶら下げてるのにみんな無視する!!」ってあるけど、こういう人達って無意識のうちに「ヘルプマークぶら下げてるんだから私に配慮しなさいよ!!」って雰囲気がにじみてているんじゃないんですかね?
障害の有無に関係なく「周囲が気を使って当然」って思ってるような人は手助け以前の問題で、この人とは極力関わりたくない・関わると面倒なことに巻き込まれそうだから近寄らないでおこうとなるのはごく自然な反応。
今回の炎上の件、投稿者が車椅子ユーザーじゃなかったられっきとしたカスハラ案件なんですが…障がい者様相手だから映画館側も本来ならしなくていい謝罪をしてしまったことで「(存在しないはずの)非を認めた」ことになってしまった。
大半の人がこの障がい者様が悪いって思ってくれているけど、障がい者様側の人達は「思いやりが大事」だとか「映画館の設計や設備はどうにか出来ないのか?」とトンチンカンなことばっかり言ってる。
一旦、切ります