手術してからもうすぐ半年…それでも私は腑に落ちない | 今日も、犬とベッドシェア

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おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
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まだ、半年しか経ってないんですね…この前の「おちちの検査はねぇ、うちでやるから😀」発言を聞いてから「通院頻度が半年ごとになったら放流する」というのがなんだか”見果てぬ夢”に感じられて仕方ない今日この頃。

 

病院によってはホルモン療法だけになった時点で放流するところもあるようなので…よほど責任感が強いのか?近い将来の建て替えに向けて費用回収要員(いわゆる金づる)にされているのか(Wikipedia情報によると数年後に移転改築を予定しているとの情報あり)?真意のほどはわからないけど、がんになってからずっと思うことがある。

 

もしかして、私は「騙し討ち」をされたのでは?という疑念が浮かんできた…

 

去年の記事で「”いつの間にか借金の連帯保証人にされていた”ようなシチュエーションで同意書にサインをしていた」と書いたが、思えばあれにサインをするように言われた時に「これは手術の同意書だ」という説明がなかったような記憶が…それ以前に「手術するか?しないか?」と口頭で確認されもしなかった。

 

がんと言われた時に私は「このまま運命だと思って受け入れます」と言ったら「進行したら飛び出してきたり辛いよぉ~出血もするし」と半ば脅されるような感じで言われ、渋々承諾したような気がする。

 

思えば、手術するデメリットの説明をほとんどされなかったような…放射線治療の時もだけど、ここの病院は全体的に説明不足感が否めないんだよな。

 

胡散臭い効能を自称する謎の注射を週2で打つなんてのも初診の時にもらったプリントにはひっそりと書かれていたけど、口頭では一切説明なかったし…そもそもこの注射を打つ必要性や理由は結局知れずじまいだった。

 

一応、冊子とかプリントはもらえるのだけれど普通大事なことって「口頭と書面のセット」で説明するものではないのだろうか?

 

ここまで自分から「主体的に治療している」感は正直なところ皆無だ、なぜかって?これまで自分で選択して決定する事がほとんどなかったからだ。

 

変な話、今でも自分が「がんになった」という自覚はほぼないし完全に事実を受け入れた訳では無い。

 

だからいつも「されるがまま」という感覚になる、自分の体が自分のものでないように感じることが多々ある。

 

一時は「ここにいるのは私じゃない」とまで感じるようになっていた…そうでもしないと乗り切れない気がしたから。

 

時々、他の人のブログで「手術や治療を全部拒否してきました!!」といって無治療とかいわゆる自然療法でなんとかしようとしている人をちらほら見かけるけど、こういう人達は一体どうやって逃げてきたのだろうか?私はこの手の人達に関してはコメントは基本的に差し控えるスタンスですが、自己決定権をフルに行使して逃げ切ってきたところは強いな…と思います。

 

私にはそんな勇気はなかったので。