昨日言われたこの提案 …実は、今の病院に出戻った時は「検査するならいつでも来い!!」といったような心境でした。
あの時はとにかくこの「違和感」の原因をハッキリさせたいという気持ちがものすごく強くて、やっと理由がわかる時がくるの…結果次第では社会から少し距離を置いてもいいのかな?とさえ思う事があった。
しかし、実際には検査の「け」の字すら出てこず…自分のダメなところも「個性」だと思えば良いじゃない。と半ば無責任(?)な事を言われてしまったり、なんだかはぐらかされてしまったりでもしかしたら「自分が思うほどそこまで"ズレてない"のかな?」と思った矢先の提案だった。
もしくは、単純にここでは検査出来ないのかな?とも思っていた。
ところが状況が一変して、私は「グレーゾーンの可能性がある」とか言われてしまった事に正直なところ動揺を隠せない。
「"私"は発達障害かもしれない」と自分で思うのと「"あなた"は発達障害かもしれない」と言われるのでは全然意味合いが違ってくる。
あと、今思い出した事なんですが…昨日お話しした時、いつも話題の中心的存在になっていた「○○先生のこと」が一度も出てこなかったし、自分でもしなかった。
どうしてかは自分でもよくわからないけど、おそらくこの3ヶ月間私はいつも彼の話をしていた気がする。
3年間の思い出、突然いなくなってしまった事に対する喪失感、7年間引きずっていた悲しみ…それらを全て話し終えた後に気が付いた、私が本当に望んでいたことは「ずっとそばで寄り添っていて欲しかった」…当時思っていた事、ずっと誰にも言えなくて一人で抱え込んでいたものを全て話すことが出来た、それは前回の通院の時の話である。
これがいわゆる「過去の自分を整理して折り合いを付けていく」という作業なのだろうか?
そういえば6月に再会した時に「まずは○○先生との事から整理していこう」と言われたような記憶がある、私はしばらくは思い出したくなかった…なんだか「思い出して整理していく=忘れなければいけない」ような感じがして嫌だったのだ、でも実際はそうでは無かった。
彼女は「忘れたくない事まで忘れる必要はない」と言ってくれた、思い出は時にお風呂のように浸っていたって良いと言ってくれた。
病院でのお話やこのブログに書きつづる事で私は「本当に望んでいた事」に気付かされた、それに気付いた時、私の中に渦巻いていた「喪失感」や「さみしさ」が少しずつ薄まっていった。
本来なら6年前にやらなければいけなかった事なのかもしれないけど、あの時はそんな気分にはちっともなれなかった。
話戻して、検査を受けるか否か…実は今月24日で今の病院の初診から「10周年」であること、偶然にも私の誕生日の1日前である。
もう、今年で30歳である…長年持ち続けてきた「違和感」の原因を探れるかもしれない、という可能性も踏まえつつあまり先延ばしにすると、ずっと先延ばしにしてしまいそうなので。
次回の通院までにどうするか決めたいと考えています。
…これが「本当の私」を探し出すための手掛かりになればいいと思っています。
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