最後に残されたメッセージの本当の意味を理解できた時、私はずっと施錠されていた自分の心の「鍵」を手に入れたような気分になった、実際にその2日後…直感的に「鍵モチーフのペンダント」を選んだのもそれから来ているのかもしれない。
鍵は手に入れた、あとはその鍵で私の心を開錠するだけなんだけど…いまそこで迷いが生じている、私にはまだそのその鍵を使って自分の心を開く勇気が無い。
あの鍵は私にとって「お守り」のようなものだ、私は来週も「くまのぬいぐるみ(身代わり)」の代わりに鍵を持っていくことにした。
あのくまを連れて行くと「例の彼女 」からいろいろ恥ずかしくなるような事を言われるので…というのもあるけど、とても大事なものだから万が一無くしたとか嫌なのです。
本当のところ、私はまだどこかで「私の心の中をほじってくれるような」治療を望んでいるのだろうか?少なくとも、今通っている病院には私がやたら怖がっていたあの人を含めてそんな治療できる人とか、やりたがる人なんていない…と思う。
いや、そうではない…私は「誰かに心の鍵を開けてほしい」という気持ちと「自分から心を開きたい」という気持ちの間で揺れているのです。
今の彼女は「人の心は無理やり開くものではない」という考えだし、こうなるとやっぱり自分から開いていかないといけないんだけど…どのタイミングで、どのくらい開いたらいいのかわからない。
彼女と面接出来る時間は限られている、でも今思っていること感じていること全部一度にぶちまけようとしたら45分どころか、24時間でも足りないだろう。
6年間の間に積もり積もった思いは、スキー場の積雪量くらいあるかもしれない。
結局のところ「彼女に対して心を開く」とは書いているが、私がこれからやろうとしていることは「自分の心を自分で見つめる」作業である…彼女は私の力にはなってくれるとは言ったが、私の鏡にはなってはくれない、なってくれたとしても「姿を映し出すための鏡」ではなく「反射鏡 」だ。
そして彼女は薬にたとえると「漢方薬」かもしれない。
最初に渡した手紙にも『今度は「私を助けて」とは言わない…「私が自分と向き合うお手伝い」をしてほしい』と書いた。
それを読んだうえで、私の担当を買って出てくれたのだと思う。
今日、病院の受付で、彼女を見かけた…向こうが先に私に気付いて私に微笑んできた。
その時私は、自分の心の鍵を彼女に託そうと思った。
彼女は私の心にかかった鍵を、いつでも開けられる状態が整った時その鍵を私に返してくれるかもしれない。
…そして私はその鍵を使って、自分自身の手で私の心の鍵を開くのだ。