4:化学物質過敏症 ―歴史,疫学と機序― | 化学物質過敏症 runのブログ

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4.化学物質過敏症の発症機序
化学物質過敏症の発症機序については諸説ある。

これまでのところ,曝露量や用量-反応関係を基盤とした中毒学の考え方で,化学物質過敏症の機序を論理的に説明することはできない。

誘発試験においても,化学物質過敏症患者は,異なった化学物質に対し異なった反応性を示さないこと,そして,プラセボを用いた曝露試験でも重度の反応が認められることから,化学物質の生物学的な性質が化学物質過敏症を引き起こしているとは考えにくい。
しかし,患者の存在を否定するものではなく,中毒学的機序では説明できない 1)神経学的機序,2)免疫学的機序,3)心身医学的な機序,そして化学物質に対する特異的な体質とも表現すべき 4)化学物質高感受性集団の存在を想定している。

以下に,これらの仮説について紹介する。
1)神経学的機序
Miller は①化学物質の毒性により惹起される化学物質への耐性の喪失(Toxicant-induced loss of tolerance: TILT)と,②その後の微量化学物質曝露による症状の発現,という 2 段階のプロセスを述べている (25)。

また,Bellらは神経系変化による症状形成の過程の観点から,キンドリング(Kindling)や時間-依存性感作(Time-dependentsensitization)などの仮説を提唱している (5)。

キンドリングとは,初めは何の変化も起こさないような弱い電気刺激,または化学物質による刺激を毎日繰り返し与えつづけると,10 日間から 14 日間後には激しいてんかん様けいれん発作を起こすようになる現象をいう。

キンドリングは,けいれん発現閾値量以下の薬剤を投与することでも成立し(化学キンドリング),この場合,神経系に明らかな病理学的障害が認められない。

キンドリングが,MCS の特徴である微量化学物質への高感受性と,身体的検査所見に異常が認められないという点で一致することから,可能性のある仮説の一つとされている (26)。
時間-依存性感作とは,薬理学的あるいは心理的な刺激やストレスに曝露されると,その刺激やストレスに対する感度が徐々に亢進する現象をいう。

この仮説は,化学物質過敏症の微量化学物質への慢性曝露による過敏性の獲得という過程に類似しており,多臓器にわたる症状や時間依存的な感受性の亢進をうまく説明している (27)。
2)免疫学的機序
アレルギーは,生体が原因物質(抗原)により感作され抗体が産生された後に,再び刺激物(抗原)が進入した際に免疫系が異常反応する現象である。

化学物質過敏症では,化学物質に対する過敏性を一度獲得すると,その後,ごく微量の化学物質に曝露しただけで臨床症状が発現することが大きな特徴である。

この特徴は,抗原に対する過敏性を獲得(抗体産生)すると,再び抗原に曝露した際に臨床症状が発現するというアレルギーの特徴に似ている。

発症機序の解明が進んでいるアレルギーの場合は,IgE 抗体の増加やそれに伴うインターロイキン等のサイトカインの上昇,ヒスタミンの過剰放出などの客観的指標が存在するが,化学物質過敏症には,現時点ではこれに相当する指標はない。

これまでに免疫学的異常に関する MCS(or 本態性環境不寛容状態と記載)の報告 (28) や,種々の抗原に対する皮内テストに対して陽性を示す化学物質過敏症患者の存在も報告されている(29)。

しかし,統計学的な有意性に関する言及がなく,適切な対照群の欠如など,研究デザインに問題があり信頼性に欠けている。

また,化学物質過敏症の場合,原因物質を特定するには,化学物質等を可能な限り除去した環境下(クリーンルーム)での負荷試験が必要となる。
こうした施設を備えることは一般的な医療機関や研究機関では困難であり,原因物質の特定は難しい。
3)心身医学的な機序
化学物質過敏症は,多彩な不定愁訴が自覚症状として出現していることから,心身医学的な機序も想定されている。

心因性機序は,原因とされる化学物質との因果関係を説明できるような検査所見や病理学的所見に乏しいこと,既知の精神疾患と類似していることなどが,主な根拠となっている。
Leznoff は,15 名の MCS 患者それぞれに対し,症状が最も現れる誘発物質を曝露し,その前後での肺機能,血中の CO2 と O2 の分圧,O2 飽和度を測定する誘発実験を行った (30)。

その結果,被験者 15 名のうち誘発物質により症状を再現した 11 名全員に過呼吸を伴った急激な CO2 分圧の低下が観察された。

この実験結果から,Leznoff は,MCS 患者は環境汚染物質により不安が引き起こされ,その不安を症状として発現しているのだと考え,少なくとも症状のある部分は過呼吸により引き起こされると結論づけている。

しかし,これは一部の過呼吸をベースとする心因性集団の存在を意味するにすぎず,MCS 患者全体の発症機序を説明する根拠としては不十分と思われる。
一方,MCS の発症には心理社会的ストレスが関与している可能性があり,これまでにいくつかの報告がある。
Freedman は,ストレスを受けることによる心的外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorder: PTSD)の発症機序が MCS にあてはまる可能性を示唆している(31)。また,Bell らは,女性の MCS 患者とうつ病患者を比較し,MCS 患者において人間関係のストレス(両親との希薄な人間関係など)が認められたことを報告している (32)。
人格傾向や精神疾患傾向を多面的に評価するミネソタ多面人格目録(Minnesota Multiphasic Personality Inventory2: MMPI-2)を使用した研究では,MCS 患者では,発症後に心気症(病気不安症)の割合が高く,病状の進行とともにヒステリーや抑うつ尺度が高くなると報告されている (33)。

一方,我が国においては,熊野らが,パーソナリティーの特徴を,外向性や神経症性を評価するアイゼンク人格質問紙(Eysenck Personality QuestionnaireRevised: EPQ-R),失感情症を評価するトロント・アレキシサイミヤ尺度(The twenty-item Tronto AlexithymisaScale-Revised: TAS-20R),心身症などを評価する身体感覚増幅尺度(Somatosensory Amplitude Scale: SSAS)を用いて研究を行っているが,化学物質過敏症患者群と対照群とのあいだに統計学的に有意な差は認められなかったと報告している (34)。
筆者らは,九州内電子部品製造工場で働く従業員 667名を対象として,QEESI を用い,日本人に適したカットオフ値として提案されている北条らの基準 (23) によって定義された「化学物質高感受性集団」とパーソナリティーとの関連について共分散構造分析を用いて検討した(論文執筆中)。

パーソナリティーは気質性格検査(Temperament and Character Inventory: TCI)を用い,仕事の疲労度等についても質問紙を用いて調査を行った。
Cloninger の理論によれば,パーソナリティーは生まれつき持っている「気質(Temperament)」と後天的に獲得していく「性格(Character)」二つに分けて評価できるとされる。

本研究の結果,「気質」ではなく,「性格」が直接的に「化学物質高感受性集団」に有意に影響していた。

また,疲労蓄積度に関して,勤務状況は「化学物質高感受性集団」に影響しなかったが,ストレスの自覚症状は「化学物質高感受性集団」に強く影響を与えていた。
基盤となるパーソナリティーやパーソナリティーの病的な変化に関する研究は十分ではなく,今後も調査を継続していく必要を感じている。
4)高感受性集団の存在
発生機序を検討するなかで,一貫した科学的説明が困難な背景の一つとして,「化学物質に対する感受性の個人差」に原因があるという考え方がある。

上記の心身医学的機序のなかで説明したパーソナリティーの関与もその一つである。

そこで,筆者らは,これまで「化学物質に関する代謝経路の違いが感受性要因の一つである」という仮説をたて,化学物質の代謝酵素の遺伝的個体差を解析し,化学物質過敏症の遺伝要因に関する分子疫学的解析を試みてきた。

筆者らの研究結果を含めて,この仮説に関するこれまでの知見を整理する。
筆者らはこれまで,ホルムアルデヒド,アセトアルデヒド,トルエンに代謝に関与し,かつ機能との関連が明らかな遺伝子の遺伝子多型として,glutathioneS-transferase(以下 GST)M1 null,GSTT1 null,GSTP1Ile105Val,aldehyde dehydrogenase 2(ALDH2)rs671,cytochrome P450(以下 CYP)2E1 Rsa I,抗酸化酵素である superoxide dismutase 2(以下 SOD2)rs4880 と芳香族化合物の代謝酵素である N-acetyltransferase 2(以下NAT2)の 3 タイプ(Rapid, intermediate, slow)を候補とし,それぞれの遺伝子多型の割合を比較検討してきた (35)。
研究方法としては,QEESI によるスコアデータ(324 人)を,北条らの設定した 3 種類のカットオフ値を用いて対照群と症例群に分け (23),さらに症例群については,3種類のカットオフ値を超えた項目数に応じて 3 群に分けた。

その結果,カットオフ値 3 項目を超えた症例群において,SOD2 遺伝子多型 Ala allele 保有者が有意に高い割合を示していた。

すなわち,日本人において,活性酸素に対する感受性の個人差が QEESI によって定義した「化学物質高感受性集団」の遺伝的背景の一つであることが示唆された。
2007 年,ドイツの Schnakenberg らは,QEESI を参考に独自の調査票を作成し,521 人の対象者をスコアによって症例群とその対照群に分け,NAT2,GSTM1,GSTT1 と GSTP1 の遺伝子多型との関連について解析している (36)。

その結果,GSTM1 null,GSTT1 null 遺伝子型保有者において,それぞれオッズ比が 2.08,2.80 と統計学的に有意な上昇が認められたと報告している。

また 2010 年,イタリアの De Luca らは,MCS の症例群(226名)と対照群(218 名)に対し,CYP isoform,Uridinediphosphate glucuronosyltransferase 1A1(UGT1A1),GSTM1,GSTT1 と GSTP1 のそれぞれの代表的な遺伝子多型を分析している (37)。

しかし,いずれの遺伝子多型も症例群と対照群とのあいだに有意な割合の差は認められなかったと報告している。
2004 年,McKeown-Eyssen らが,MCS に関する症例・対照研究を実施し,NAT2 遺伝子多型との関連を報告した (38)。対象者は女性コーケイジアン(症例 203 人,対照 162 人)であり,症例は,トロント大学健康調査によって MCS に関する過去 6 つの論文によって提示された症状とリンクした 171 症候と 85 曝露情報,そして9 つの特徴に関する質問票にもとづき定義されている。
その結果,NAT2 Rapid type が,MCS の high risk(OR 4.14:95%CI 1.36–12.64)と有意な関連があったことを報告している。

一方,2008 年,Wiesmüller らがドイツで実施した Self-report によって MCS と診断された症例群と対照群との研究では,NAT2 との有意な関連は認められなかったことを報告している (39)。
筆者らの報告も含め,いずれの報告も化学物質の曝露量の評価は行われておらず,質問票による病態の定義に基づいて研究が実施されている。

これまでの報告を俯瞰すると,遺伝的高感受性要因に関する一貫した結論は得られていない。