2:化学物質過敏症 ―歴史,疫学と機序― | 化学物質過敏症 runのブログ

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・2.化学物質過敏症の歴史
1987 年,Cullen により MCS の概念が提唱されて以来,さまざまな研究者や臨床家によって,定義や診断基準の見直しが行われてきた。

従って,Cullen の診断基準(表 1)が幅広く用いられているというわけではない。
表 1 Cullen による「多種化学物質過敏症」に関する 7 項目の診断基準(1987 年)
1. 証明可能な環境由来の化学物質の曝露に関連して発現する
2. 複数臓器に症状が発現する
3. 原因と思われる化学物質と,症状の再発あるいは軽減との間に関連性がある
4. 構造の異なる化学物質の曝露により症状が誘発される
5. 低レベルではあるが,検出可能な化学物質曝露により症状が生じる
6. 極めて低濃度の曝露,人体に有害な反応を起こすことが知られている“平均”曝露量よりも数標準偏差値以上も低い曝露により症状が生じる
7. 通常の身体機能検査では症状が説明できない
表 2 国際化学物質安全性計画の「本態性環境非寛容状態」の定義(1996 年)
1. 多発性・再発性症状をもつ後天的疾患
2. 一般の人では問題とならない多様な環境的因子により発症する
3. 既知の医学的・精神的疾患によって説明ができない
* 2. における「多様な環境的因子」とは,化学的要因のみではなく,物理的,精神的因子も含んでいる。
表 3 多種化学物質過敏症を定義するための臨床環境医による
合意基準(1999 年)
1. 化学物質に繰り返し曝露されると,症状が再現される
2. 健康障害が慢性的である
3. 過去に経験した曝露や,一般的には耐えられる曝露よりも低い曝露量によって症状が現れる
4. 原因物質の除去により,症状が改善または治癒する
5. 関連性のない多種類の化学物質に対して反応が生じる
6. 症状が多種類の器官にわたる
1996年,ベルリンで開催された国際化学物質安全性計画(International Programme on Chemical Safety: IPCS)では,化学物質と臨床症状との因果関係が不明であり,疾病として認められていないなどの理由から,MCSを本態性環境不寛容状態(Idiopathic Environmental Intolerances:IEI)と呼ぶことを提唱し,表 2 のように定義した (2)。
1999年,米国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)主催のアトランタ会議において,MCS を定義するための 6 項目(表 3)が臨床環境医らによる合意基準として設けられた (3)。

しかし,この合意さえも標準的な基準として広く認識されるには至っておらず,MCS の明確な定義を欠いているのが現状である。
MCS に対する考え方の違いも,名称の違いを生んでいる。Staudenmayerらは,心理学的アプローチからMCSの研究を進めている (4)。

彼らは MCS 患者 20 名を対象として二重盲検法による化学物質誘発試験を行い,化学物質に対する偽陽性,偽陰性反応が多数認められたとしている。

彼らは MCS を心因反応に基づく反応であると捉え,本態性環境不寛容状態の名称を用いている。
Bell らの研究グループでは,化学物質不寛容状態(Chemical Intolerance)の名称を用い,嗅覚-神経系の観点から研究を続けている (5)。

化学物質不寛容状態では,化学物質に対して異常反応を示すすべての人々が患者対象となるため,慢性疲労症候群や線維筋痛症,湾岸戦争症候群,そして妊娠している人々の一部も化学物質不寛容状態の患者となり得る。

また,Rea らは,MCS の“M” を除いた化学物質過敏症(Chemical Sensitivity,以下 CS)の名称を用いている (6)。

MCS は頭痛や倦怠感,吐き気といった自覚症状だけであっても診断名として用いられるのに対し,CS は何らかの化学物質に対する誘発試験で必ず陽性となることが条件である。

CS 患者群には,IgE アレルギー患者が 15%,急性中毒患者が 20%,そして慢性中毒患者が 60 ~ 65% であるという。

アレルギーや中毒を除外しないなど,Rea らの病態概念は,従来の MCS,本態性環境不寛容状態,化学物質不寛容状態からは少し離れた概念となっている。
一方,日本においては,石川によって独自に診断基準(1999 年)(表 4)が設けられ,固有の名称として「化学物質過敏症(Chmical sencitivity,石川は略称として CSを用いている)」と呼ぶことが多い (7)。

しかし,Cullenの提唱した MCS や Rea らが用いた CS の概念と同一であるとは言えず,「シックハウス症候群は化学物質過敏症の一つの病態」,「化学物質過敏症はシックハウス症候群の重症化した病態」などの説明がなされている。

実際,我が国の化学物質過敏症患者の約 60% はシックハウス症候群を契機に発症することや,アトピー性皮膚炎や喘息などのアレルギー疾患保有者の発症リスクが高いことが報告されている (8)。
1990 年代以降,室内空気質が社会的な問題となって以来,シックハウス症候群の定義は,「建物内の健康障害」という極めて広範囲であった。

そこで,2007 年,相澤らは厚生労働省の研究班のなかで,狭義のシックハウス症候群を以下のように定義している (9)。

すなわち,「建物内環境における,化学物質の関与が想定される皮膚・粘膜症状や頭痛・倦怠感等の多彩な非特異的症状群で,明らかな中毒,アレルギーなど,病因や病態が医学的に解明されているものを除く」である。

筆者は,日本においては,化学物質過敏症をこのシックハウス症候群の狭義の定義に近いが,さらに「建物内環境における」を除いた,「化学物質の関与が想定される皮膚・粘膜症状や頭痛・倦怠感等の多彩な非特異的症状群で,明らかな中毒,アレルギーなど,病因や病態が医学的に解明されているものを除く」と定義することが妥当だと考えている。
すなわち,「建物内環境という場だけに限定せず,様々環境から曝露された化学物質による健康障害であるが,中毒,免疫系,心因性の要因を除外してもなお説明ができない健康障害」という定義である。

現状では,患者の複雑な病像を説明できる機序や診断できる客観的な指標はない。しかし,筆者は,化学物質過敏症の存在を否定せず,新しい科学的機序を仮定し,その病態を解明することこそが医学研究者の使命だと考えている。
我が国における行政の対応としては,1997 年 8 月,厚生省長期慢性疾患総合研究事業アレルギー研究班によって「化学物質過敏症パンフレット」が作成された。
そして 12 月,環境庁(旧環境省)の委託に基づき,財団法人公衆衛生協会に“本態性多種化学物質過敏状態に関する研究班”が設置された。

すなわち,厚生労働省では「化学物質過敏症」,環境省の研究委員会では医学的に疾病として確立されていないという理由から「本態性多種化学物質過敏状態」という名称を用いている。

診療においては,2009 年 10 月 1 日から化学物質過敏症は保険診療の病名リストに登録され,治療に健康保険が適用されるようになっている。