4)考察
本件では一審、二審を通じて侵害行為、損害の発生、因果関係のいずれも認められず、過失については判断されなかった。
両判決にはこれまでの化学物質過敏症をめぐる一連の訴訟の到達点から逆行するように思われる点がある。
まず侵害行為の存在、すなわち有害化学物質の発生について、本件施設における廃プラの加工過程においてベンゼンなど有害性が既知のものとされている物質が環境基準や指針値を上回る濃度で存在していることは一審二審とも認めている。
しかし原審では、VOCの総量が一定限度を超えたからといってただちに人の健康に影響を及ぼす程度の化学物質が排出されている危険性があるとはいえないとした。
このような判断方法、あるいは控訴審判決が非規制対象物質は環境基準の検討対象にもなっていないことを理由に原告らが主張するVOC の危険性を「抽象的な危険論」と断じている点については、「基準主義の過誤」あるいは「基準値の神格化」という批判が当てはまろう。
前者は基準主義に固執することで問題解決が阻害されてしまう事態をいい、後者は制度化された基準値が絶対視され、基準値以下であれば安全のごとく扱われてしまう事態を示している57。化学物質のリスク評価はそれ自体に技術的限界があり常に科学的不確実性を伴うこと、また膨大な数にのぼる化学物質すべてについて詳細なリスク評価を行うのは事実上困難であることからすれば、既に設定された基準値も常に再検討していく必要があるし、基準値が設定されていない物質の安全性に疑義が生じた場合にはまずそのリスク評価をすることが予防的なリスク管理のために求められる。
裁判所は公法上の基準を参考にしつつも自ら判断することに社会的意義があるとの指摘もあり58、基準を大幅に超過していない、あるいは基準が設定されていないからといって直ちに人の健康に影響を及ぼす危険性がないと判断することはできないというべきである。
次に、原審は健康被害の存在と因果関係の存否を一体的に判断し、健康被害が各人の愁訴にすぎないことから原告らの症状が本件施設から生じたものではないとした。
また、健康被害の存在を示すために原告側が提出した津田疫学調査を、同心円上での調査・解析が行われていないことや従業員に健康被害が生じていないことに説明が加えられていないことなどを理由に信頼性に欠けるとした。
しかし、杉並病原因裁定では他覚的症状を伴わない非特異的自覚症状も中継所を原因とする健康被害と認定した。
また、疫学調査としては不十分な点もあるとされたアンケート調査も因果関係の推定を補強する事実とされたし、施設の従業員に健康被害が発生していないという事実は推定を覆す事実足り得ないとされた。
さらに科学者の中には同心円上での疫学調査は科学的調査が成立するかどうかの要件ではないと指摘するものもある59。
さらにいえば、有害な化学物質が存在しているという事実は今までの判例の流れからみれば因果関係を認定するのに肯定的な要素となったはずである。