15:化学物質過敏症訴訟をめぐる問題点 | 化学物質過敏症 runのブログ

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他方で、被告側で行われた調査は通常の操業状態を反映させたものではないことは認めながらも、なぜその調査結果をもって健康に影響を及ぼす程度の有害化学物質の排出は認められないと結論づけることができるのかについての合理的な説明は判決文からは読み取れない。
 以上のように、本件は一連の化学物質過敏症訴訟及び杉並病原因裁定の流れをくむものではなく、従来の民事差止訴訟における判断過程に則ったものといえるだろう。確かに原告側の証明には不完全な点があることは否めない。

とりわけ、被害が場所的・時間的に集中して発生したことが判決で認められなかったことが、棄却判決となった最大の要因であったと考えられる。

しかし化学物質過敏症をめぐる訴訟や裁定が化学物質を原因とする健康被害の特徴を的確に捉えて築いてきた判断枠組み、とりわけ杉並病原因裁定における判断枠組みを本件においても活かす余地があったのではないかだろうか。

すなわち、有害物質の一定量以上の発生、不十分な調査、対策の不備(イコール社施設が四市組合施設に比べて排気対策が不十分であったことは認定されている)などの事実は認められているのであるから、これらの事実から原告らの症状との因果関係を推認し、被告に反証を求めるとする余地がなかっただろうか。あるいは、本件において平穏生活権を主張し、合理的な不安・恐怖感から相当程度の可能性でこれを侵害されていることを証明するという方途はなかっただろうか。
 なお、両判決では杉並中継所周辺で起きた健康被害との比較について、杉並中継所における処理の対象物一般不燃ゴミ全般であり、本件施設の処理対象物はプラスチック製容器包装廃棄物のうち、再商品化適合物に合致する廃プラのみであることなどから、両者を単純に比較することはできないとした。

しかし、杉並中継所に搬入されていた不燃ゴミもその大部分はプラスチックであり、プラスチックの圧縮により生じる化学物質が問題となっていたのであって、両者の差異をそれほど強調すべきかについては疑問がある。
また、控訴審判決ではその補足的判断において、毒性の検証されていない物質が大気中に排出されることについて一般的危惧が抱かれることは避けられないとした。

この点については、第1節で述べたように、危惧感があればそれを打ち消すための注意義務が事業者に課されるべきだとの主張が学説や実務から出されていることを付言しておきたい。
 原告らは控訴棄却判決を受けて公害等調整委員会に原因裁定を申請し、平成24 年1 月25 日に受理されており、現在も係属中である。

おわりに
 本稿では1990 年代から増加した化学物質過敏症をめぐる訴訟について、特に不法行為責任を問う場合に重要となる要件を中心に検討を加えてきた。

いくつかの事件において画期的な判断が下されるようになっている一方で、依然として各要件の証明には困難が伴い、その多くは克服されていない。

本文において述べてきたように、他覚的症状を伴わない非特異的自覚症状も時間的・場所的集中といった条件を満たせば損害と認めていくことや、有害物質の存在や被害の集中、対策の不備といった事実に基づき因果関係の推認を認めていくこと、高度かつ多様な注意義務を介在させることで過失の認められる余地を広げていくことなどが被害を救済するために提示し得る道筋である。

確かに、なぜ化学物質過敏症訴訟においてのみ証明の緩和が行われるべきかと問われれば、その問への明確な答えは存在しない。

これはかつて公害事件において因果関係の証明度の緩和を唱えた蓋然性説に対し、なぜ公害事件においてのみ証明の緩和がされるのかと問われたことと同様である。

他方で、刻々と変化する環境問題、被害の態様に法が硬直的であって良い理由も存在しない。
化学物質過敏症は一旦発症すると日常生活にも支障をきたしてしまうものである一方で、外部からはその症状が分かりにくく、被害者は症状とともに周囲の無理解にも苦しむことになる。

このような非常に現代的な疾病に対して法はどのようなアプローチで臨むべきかを不断に検討し続けていく必要があると考える。