5:化学物質過敏症訴訟をめぐる問題点 | 化学物質過敏症 runのブログ

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4)過失の有無
 化学物質過敏症という疾病の認知が広まったことで損害の発生や因果関係は認められやすくなったといえるが、過失の有無は依然として大きなハードルである。典型的なのは、比較的初期のものである前掲の横浜地裁平成10 年2 月25 日判決である。

本件では建物賃借人が入居後に化学物質過敏症に罹患したとして貸主に対して債務不履行に基づく損害賠償を請求した。

判決は発症と入居の時間的接着性や他原因の不存在などを理由に、本件建物の建材等から発生する化学物質により原告が化学物質過敏症を発症したと認定した。

しかし、被告の過失については、貸主には建物を健康上良好な居住環境において提供すべき義務があるものの、

①化学物質過敏症がごく最近注目されるようになったものであり、建築当時の平成5 年6 月ころの時点において、その施主ないし一般の施工業者が化学物質過敏症の発症の可能性を現実に予見することは不可能ないし著しく困難であったこと、

②化学物質を含む新建材等を全く使用せずに建物を建築するといったことは経済的見地からも極めて困難であること、

③化学物質過敏症の発症は各人の体質等にも関係するものであるから、被告が化学物質過敏症の発症を予見し、これに万全の対応をすることは現実には期待不可能であったこと、などを理由にこれを否定した。
 本判決が述べた、①新しい疾病であるゆえ予見が困難であること、②微量な化学物質でも発症する可能性があるため完全な対策をとるのは経済的に期待不可能であること、③発症は個別の事情に依存するため予見が困難であること、は過失の判断において大きな役割を果たしている。

①との関連では、例えば東京地裁平成15 年5 月20 日判決27 は、化学物質過敏症の発症と漏水事故の対処法として塗布されたクレオソート油との因果関係は認めたが、「クレオソート臭の吸引による結果の予見の範囲は、一時的な頭痛等や吸引自体による直接的な神経症状を来す事であり、これ以上に、原告らが化学物質過敏症となり、前記認定のような慢性的疾患に罹患するという結果まで予見し得たとまでは直ちに認めたがたい」として施工業者の過失を否定した。
 このような過失の判断については、具体的結果についての予見可能性は不要であり、人の生命・身体に対し何らかの危害を及ぼすのではないかという一般的な不安、

つまり「危惧感」があれば、情報収集義務として、この危惧感を打ち消すための注意義務が業者(住宅販売会社、施工業者等)に課され、健康を損なうことのないように万全の対応が求められ、これを怠った場合には過失が認められるべきだとの指摘がある28。

こうした予見義務の対象(及び予見可能性)の柔軟化・抽象化の方向は、民事過失論の展開が危険責任・報償責任の原理を取り込んだ過失の高度化の流れにあることからすれば、(刑事過失論とは異なり)民事過失論と親和性があるとされる29。
 また、予見可能性との関係では、当該化学物質について法令上の規制基準や、環境基準・指針値などが設定されているか否かも重要な要素になる。

例えばシックハウス症候群の代表的な原因物質とされるホルムアルデヒドについて厚生省は、平成9 年に指針値を発表し、平成12 年には「室内空気中化学物質の室内濃度指針値及び標準的測定方法について」とする通達を公表した。

その後平成14 年にはホルムアルデヒドを含む13 物質について指針値が設定された。

また、平成12 年には住宅の品質確保の促進等に関する法律が施行され、住宅性能評価書の性能表示項目にホルムアルデヒド対策が含まれた。

さらに平成15 年7月には改正建築基準法が施行され、ホルムアルデヒドに関する建材・換気設備の規制が始まる。

こうした規制の進捗状況に応じて、ア)平成8 年以前、イ)平成9 年から平成15年6 月、ウ)平成15 年7 月以降、の三つの時期に分けて過失の検討する見解がある30。

すなわち、ア)においては特別の事情のない限り施工業者等に過失があったと判断することは難しいが、イ)においては業界水準を満たさない建材が使用されていた場合には原則として過失が認められ、ウ)にいたっては法規制による使用制限を遵守していなければそれだけで結果回避義務違反が肯定できる31、とする。
 さらに問題が複雑になるのは、当初使用が認められていた資材・物質等が、その後の法改正により禁止された場合である。

冒頭でも紹介した東京地裁平成22 年5 月27 日判決32は、同じくホルムアルデヒドへの暴露より化学物質過敏症を発症したとして瑕疵担保責任及び不法行為責任に基づき損害賠償を求めて提訴した事案である。

争点となったのは、

①売買契約の締結及び建物の建築時には規制がされていなかった床材の使用が住宅の瑕疵にあたるかという点、並びに、

②漏水防止の修補工事の際に放散するホルムアルデヒドが室内に流入しないように配慮すべき注意義務を施工業者が負うか、という点である。

判決では①につき、禁止された床材は建築当時法令上禁止されていなかったことや、ホルムアルデヒド濃度のサンプル調査の結果は旧厚生省が平成9 年に提案していたホルムアルデヒド濃度の指針値33 をわずかに上回る程度であったことなどを理由に、本件床材が使用されていたことは住宅の瑕疵には当たらないとした。また②については、本件修補工事時点で、本件床材が高濃度のホルムアルデヒドを放散し続けていたということはできないし、コンクリートく体と仕上げ剤との間の空隙内にホルムアルデヒドが高濃度の状態で滞留していたということもできないのであるから、被告である不動産販売会社及び工事の施工業者は、ホルムアルデヒドが室内に流入しないように配慮すべき注意義務を負っていたとはいえない、として原告らの請求をいずれも棄却した。