3)因果関係の存在
原告の健康被害が認定されたあとに問題となるのは、建物への入居・製品の使用・排出された化学物質等と損害の発生に因果関係が存在するか否かである。
ジョンソンカビキラー判決の当時は製造物責任の立法化の動きがあったこともあり、因果関係の推定に関して大きな議論をよんだが、因果関係の推定規定があったとしても、本件のような一回的事故の場合にはそれを利用することができない可能性が指摘されていた20。
その後シックハウスが争われた初期の判例の傾向分析から、因果関係の認定においては、
①人体に対して有害な化学物質が存在したか、
②化学物質への暴露と発症との時間的接着性があるか、
③現実に暴露があったかどうか、
④他の原因因子は存在しないか、
⑤化学物質との因果関係を矛盾なく説明できるかどうか、などの点が総合的に検討されることになるといわれている21。
例えば前出の東京高裁平成18 年8 月31日判決は、「ストーブのガード部分には有機塗料が塗布されており、高温に加熱されることによって化学物質が発生するものであったこと」、「発生する化学物質には人体にとって有害なものが多く含まれていたこと」、使用状況は「化学物質に直接的に暴露されやすい状況であったこと」、控訴人に生じた症状は「本件同型ストーブから発生する化学物質によって人体に生ずるとされる症状と矛盾がないこと」、などから控訴人の症状は「本件ストーブから発生した化学物質により生じたものであり、控訴人は、慢性症状として、化学物質に対する過敏症を獲得したものと認めるのが相当である」として因果関係を認めた。
他方で、被害者にアレルギーや他の過敏症があること・心因的なストレスなどが考えられることなどから他原因が疑われる場合や、化学物質の濃度や暴露期間からみて健康被害を生じさせるとは考えにくい場合、飛散実験等の結果暴露量が少ないことが証明されたような場合22 には、因果関係は否定されることになる。
大阪地裁平成24 年12 月26日判決23 は改修後の職場においてトルエンに暴露したことにより、業務に起因して化学物質過敏症を発症したとして労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付の支給を求めたものの、不支給処分を受けたため、処分の取消しを求めた事案である。
判決は、原告らが健康に被害を及ぼす程のトルエン暴露を受けたことを認めることはできず、また原告らが主張する各種の症状はトルエン暴露による特異的な症状ではなく、かぜ、アレルギー、体調不良などによっても生じ得る症状であること、心因的な理由により過敏反応を生じている可能性も否定できないことなどから、原告らは化学物質過敏症を発症しているとはいえず、また仮に発症しているとしても、トルエン濃度と暴露期間から考えて被害との間に相当因果関係があるとは認められない、として原告らの請求を棄却した。
ところで、解明途上の疾病が問題となったり、製品が新たな用途・仕様・性能等のものであったりする場合には、損害賠償訴訟が科学裁判の様相を呈することが指摘されている24。
高度な科学的知見が必要なケースにおける因果関係の証明については重要な先例としてルンバール判決があるが、これについての理解も一様ではない。
升田純教授は、ルンバール判決を科学・技術的な知見にかかわらず損害賠償責任の要件を判断することができると理解するのは的確ではないとし、高度な科学・技術的な知見が判断に関連する訴訟においては、科学・技術の専門家の知見を得て審理、判断が行われるべきであり、そのような制度上の枠組みが必要である、と指摘する25。
他方、新美育文教授は、自然科学によって得られたものも含むすべての経験則に基づいて高度の蓋然性を証明することが必要かつ十分であり、化学物質過敏症のような解明途上の疾病の場合科学論争は必至となるが、科学はその固有の論理から、その知見のもつ誤差について厳格な態度をとるのが一般であるものの、法がそれにそのまま従う必要はなく、法としてどの程度の誤差を許容するのかを明らかにしたうえで当該科学的知見を採用するかどうかを判断すれば十分というべきである、とする26。
確かに科学的知見を度外視して因果関係や過失の判断をすることは許されるべきではないが、科学的な証明と法的な証明は異なるものであり、科学的に確実な判断ができないことを理由に法的な因果関係を否定するべきではないと考える。
なお、これらの訴訟においてはいずれも原告の立証責任の緩和は行われていない。