1.初期の判例の推移
1)訴訟の形態
化学物質への暴露による健康被害をめぐる多様な訴訟の嚆矢となったのがジョンソンカビキラー事件(東京地判平成3 年3 月28 日判時1381 号、東京高判平成6 年7月6 日判タ856 号)である。
事案の性質としては製品事故であったが、製造物責任法が成立する前であったために、製品の製造会社が不法行為責任を問われたものである。
原審は被告ジョンソン株式会社の過失について、「被告は、カビキラーの製造、販売に当たり、人の生命、身体、健康に被害を及ぼさないよう注意すべき義務を負っていると解するのが相当であ」り、また被告は「カビキラーが場合によりひとの気道に対して傷害を生ずるなどの健康被害を与えるおそれのあることを予見することは可能であった」として、カビキラーの製造、販売に当たって被告には「注意義務を懈怠した過失があったものと認められる」として不法行為の成立を認めた。
ただし原審においても原告の主張する慢性気管支炎等の慢性疾患への罹患は認定されず、損害と認定された咳等の健康被害にかかる治療費等も相当因果関係のある損害とはいえないとされ、慰謝料が認められたにすぎない。
さらに控訴審はカビキラーの使用によって損害賠償請求の根拠となるような健康被害が生じたとは認められないとして原告の請求を棄却した。
その後90 年代後半に入ってから、住宅をめぐっての「シックハウス訴訟2」が頻発することになる。
これらの訴訟は大別して①賃貸人や販売者に債務不履行又は不法行為又はその両方に基づき損害賠償を請求するものと、②建物の売買契約の取消し、契約の錯誤無効、瑕疵担保責任等で責任を追及するものに分かれる。
①に属するものとして、例えば建物賃借人が室内に揮発した化学物質により健康被害を生じたとして賃貸人に債務不履行に基づき損害賠償を求めた横浜地裁平成10 年2月25日判決3 (因果関係は認めるも過失否定)、注文住宅の注文者が住宅内の化学物質により化学物質過敏症に罹患したとして請負業者に不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償を求めた札幌地裁平成14 年12 月27 日判決4 (因果関係は認める5 も過失否定)、増築工事を行った被告が床下処理に環境配慮型クレオソート油R を使用したことにより化学物質過敏症を罹患したとして債務不履行及び不法行為に基づき損害賠償を請求したさいたま地裁平成22 年4 月28 日判決6(請求棄却)、などがある。
②に属するものとしては、「環境物質対策基準に適合した住宅」と表示して販売されていたマンションの購入者が瑕疵担保責任に基づく契約解除を求めた東京地裁平成17年12 月5 日判決7(瑕疵担保責任に基づく契約解除を認める)、マンションの床材に、売買契約の締結及びマンションの建築後の法改正により使用が禁止されたJIS 企画E2 相当の建築材料が使用されていたことが住宅の瑕疵にあたるとして損害賠償を請求した東京地裁平成22 年5 月27 日判決8(瑕疵にはあたらないとして請求棄却、なお不法行為責任も否定)などがある。
そして化学物質過敏症をめぐる訴訟は、住宅関連のものにとどまらず、大きな広がりをみせていく。
例えばジョンソンカビキラー事件と同様に、③製品の使用により化学物質過敏症に罹患したとして不法行為、債務不履行、製造物責任に基づき損害賠償を請求するものがある。
東京高裁平成18 年8 月31 日判決9 は、原告が化学物質過敏症を罹患したことを認定し、その症状は被告が販売し原告が使用していたストーブから発生した化学物質により生じたものであることを認めた。
また、④労働者が勤務に際して化学物質に暴露し化学物質過敏症を発症したとして雇用者の安全配慮義務違反に基づき損害賠償を請求するものがでてくる。
例えば社屋の改装工事で使用された内装材料からホルムアルデヒドが発生し化学物質過敏症に罹患したとして損害賠償を請求した大阪地裁平成18 年5 月15 日判決10 とその控訴審である大阪高裁平成19 年1 月24 日判決11(ともに請求棄却)、病院に勤務している原告が検査器具を洗浄する際に使用する消毒液に含まれる化学物質の影響で化学物質過敏症に罹患したとして安全配慮義務違反に基づき損害賠償を請求した大阪地判平成18 年12 月25 日判決12 (一部認容、
一部棄却)、仮設棟に移転したことに伴い間もなくシックハウス症候群又は多種化学物質過敏症を発症いたとして安全配慮義務違反による損害賠償を求めた東京高裁平成24 年10月18 日判決13(使用者の責任を肯定)などがある。
さらには、⑤国家賠償訴訟が提起されるケースもでてきている。宮崎地裁平成24 年7月2 日判決14 は、県知事が森林病害虫等防除法に基づいて行った薬剤の散布により散布区域の周辺住民が化学物質過敏症を罹患したとして損害賠償を請求した事案である(相当因果関係を否定)。
そして⑥原因物質を排出していると思われる施設の操業の一時停止や差止を求めるものもある。
裁判例ではないが、いわゆる「杉並病」をめぐって施設の一時差止を求めていた申請者らの症状につき原因物質を特定せずに当該施設が原因施設であると認定した平成14 年6 月26 日公害等調整委員会裁定(以下では一般的な呼称である「杉並病原因裁定」の語を用いる)が著名であるが、最近では大阪府寝屋川の廃プラ加工施設の周辺住民が人格権に基づき施設の操業差止を求めたものがある(大阪高裁平成23 年1 月25 日判決。請求棄却)。これらについては第2 節及び3 節で詳しく検討する。
シックハウス訴訟に関する先行研究においては訴訟形態ごとに検討をしていたが、本稿ではシックハウスに限らず化学物質過敏症が争われる訴訟が増加してきたことに鑑みて、「化学物質過敏症が争われた事案」を広く検討対象とする。
そのうえで、特に不法行為責任の要件である損害の発生、因果関係、過失の有無の判断に焦点をあてるが、債務不履行責任や瑕疵担保責任で争われた点に関する判断も重要なものは検討の対象に加えていく。
runより:長い記事になります、しばらくお付き合いください((。´・ω・)。´_ _))ペコ