・化学物質過敏症訴訟をめぐる問題点
不法行為を中心に
小 島 恵
はじめに
化学物質過敏症は、最初にある程度の量の化学物質に暴露されるか、低濃度の化学物質に長期間反復暴露されて一旦過敏状態になると、その後同じ化学物質への接触による過敏反応が極めて微量(ppm(100万分の1)からpp(t 1兆分の1))で起こってくる症例である1。
症状は、神経、内分泌、免疫、循環器など様々な部分に発現する。
具体的には鼻炎等の粘膜刺激症状、気管支炎、胃腸症状(腹痛、下痢など)、自律神経症状(関節痛、微熱、臭いに異常に敏感、動悸など)、中枢神経症状(頭痛、不眠、うつ、めまいなど)、皮膚疾患、慢性疲労症候群など多岐にわたる。
このため診断も難しく、神経機能検査のみが診断に利用できる確実な客観的方法であり、問診が一番重視される。
新築建物に使われている化学物質に暴露することで発症するシックハウス症候群は化学物質過敏症の一例ともいわれるが、シックハウス症候群の発症に前後して化学物質過敏症を併発することも多いとされ、いずれにしても一旦発症すると通常の環境で日常生活を送ることが非常に困難になる。
化学物質過敏症をめぐる訴訟は1990 年代から増えてきたが、当初は「化学物質過敏症」の存在そのものが争点になった。
すなわち、原告らは「化学物質過敏症を発症した」と主張するが、そのような疾病はまだ学界でも確認されておらず、診断方法も確立していないため、損害とは認められない例が相次いだのである。
時代が下り、「化学物質過敏症」という疾病が一般にも周知されるようになるとともに訴訟も増加したが、その過程で①原告は化学物質過敏症を発症しているか(損害の発生)、②原告の健康被害と原因とされる化学物質との間に因果関係があるか、③被告の過失の有無、それぞれの立証について多くの困難な問題が認識されてきた。
まず、①損害の発生については、化学物質過敏症の症状は多様かつ非特異的であること、発生機序など医学的にも未解明な点が多いこと、従って化学物質過敏症と断定的に診断するのが困難であること、などが訴訟上問題となってきた。
さらに、②因果関係については、当該化学物質の有害性に科学的不確実性があること、化学物質の排出から到達を証明することが非常に困難であること、化学物質過敏症の発生機序が解明されていないこと、問題とされている発生源以外の要因がありうること(他の発生源や被害者が持つ各種アレルギー・過敏症など)、が問題となる。
また、③過失の有無についても、行為者に予見可能性がない(科学的知見の確立時期の問題)、結果回避可能性がない(代替物の利用可能性)、被害者の素因の存在、法律上の規制がない・違反していない(使用禁止ではなかった、行政水準に適合していた)、予防対策を取っていた、などの理由で否定的な判断がされることが多い。
これらの高いハードルゆえに被害者の主張が受け容れられないことが多い一方でしかし、過失の判断において事業者に高度の注意義務を課すものや、被害の原因となった物質を特定せずとも因果関係を認める(杉並病原因裁定)など、近年では画期的な判断も出てきている。
こうした流れを受けて、化学物質過敏症訴訟における原告の負担が軽減されることがのぞまれたが、目下争われている大阪府寝屋川の廃プラ施設をめぐる紛争はそうした希望を裏切るように推移している。
本稿では初期の判例を確認して問題点を明確にしたうえで、杉並病原因裁定の特徴およびその射程を検討するとともに、寝屋川廃プラ施設差止訴訟を批判的に考察する。