・第 1 章 室内環境の重要性
1.1. 環境と⼈の健康の関係
1.1.1. 環境汚染が引き起こす健康障害と疾病
毎日の生活にとって、環境は人々の健康を考えるうえで最も重要な要因になっています。
たとえば水俣病に代表される水質汚染、カドミウムによる土壌汚染がもたらしたイタイイタイ病、四日市喘息(大気汚染)など、身近な環境は我々の健康に重大な影響を与えてきました。
最近の日本では従来型の公害問題は克服されてきていますが、世界各国では多様な環境汚染と人々の健康障害が引き続き大きな関心を集めています。
一方で、今日では自然環境のみならず、社会経済環境も注目をあびています。
また経済活動の水準が高まるにつれ、先進国、開発途上国を問わず、一国の環境問題にとどまらず、地球温暖化やオゾン層破壊、酸性雨、砂漠化など地球規模の環境汚染や有害物質の国を超えた越境問題が深刻になってきています。
生態系全体を考えた持続可能な発展が求められている由縁です。
この章では環境と健康の関係を室内環境に焦点をあてながらわかりやすく説明します。
1.1.2.「環境と健康」の関係を探る疫学の役割
歴史的にみますと、19 世紀後半から 20 世紀の半ばには当時の環境問題としては「流行病(感染症)」の原因や予防法の発見が最も大きな課題でした。
従って室内環境としても感染症蔓延の制御が中心課題だったといえます。
一方、20 世紀半ば以降、今日に至るまでは感染症以外の病気が非感染症(Non Communicable Disease: NCD)として、あらゆる疾病と健康障害について疾病を引き起こす重要な因子の一つとして環境を考慮した原因の解明が、疫学的な手法を用いて進みつつあります。
具体的には、人々の健康障害の原因を、動物実験や実験室的な研究には留まらず、しっかりした調査や研究の手法を用いて調べることが重視されるようになりました。
ここで、疫学は、人の集団における病気や健康障害の分布と頻度、およびそれらに影響を与える諸要因に注目して研究を進めます。
人々を対象に、万人が納得する科学的な根拠を見出し、証拠(エビデンス)を示すことが求められるようになってきたのが特徴です。
疫学の歴史は、古くは 1854 年にロンドン市中で起こったコレラ蔓延の原因究明と対策をコレラ発生地域の水質汚染として調べたジョン・スノウの調査事例が疫学研究の端緒として有名ですが、さらにその後、1 世紀を経てイギリスで大きな問題になった公害スモッグなどの大気汚染、あるいは喫煙(タバコ)と肺がんの関係の関係まで、急性、慢性疾患を問わず、すべての疾病や健康障害の原因の究明には疫学の方法論が用いられてきました。
時代が進み、20 世紀後半には低濃度の環境化学物質の汚染の影響を探る研究が盛んになりました。
また臨床の場面でも、目覚ましい臨床疫学の発展があります。
「根拠に基づく医学(Evidence based medicine: EBM)」の普及により最近はそれらの疫学データが一般診療や治療に応用されています。
近年の特徴は、特にがんや循環器疾患などの慢性疾患の原因として、室内あるいは大気、水や土壌、食品などに含まれる環境化学物質あるいは放射線など、あらゆる分野で疫学研究によるリスク評価が進みました。
対象とする疾病や健康障害(アウトカム)は重篤な臓器が障害を受ける病気から、自覚症状のみの軽い病気までさまざまです。
さらに疫学手法は私たちの生活に密着した健康リスクの原因解明や、治療や予防対策の評価にも用いられるようになりました。
さらに最近は健康障害を引き起こすリスクの高い人に対して、リスクを軽減するように働きかけるための科学的な知識を蓄積することもなされています。
様々な疫学研究がありますが、病気の患者さんを対象にするのみならず予防医学の視点から、人々の住む地域や生活の場面や労働(職域)の場で研究を進めることが重要です。
その結果、健康障害を予防し、病気やアレルギー、感染症などの水質汚染や大気・土壌の汚染など環境が引き起こす病気の発症を予防し、発生を遅らせ、あるいは病気の悪化を防ぎ、健康維持に役立てることができるようになってきました。
すなわち、“人々”を直接の対象にして疾病や健康障害の原因について、環境を視点にいれて解明する科学的な方法として、20世紀後半から現代にかけて疫学研究の方法論は大きな発展がなされました。
これらの諸研究によって確立された科学的なエビデンスは、まさに一人一人の市民の協力によって成し得る成果ともいえます。
そこで、本マニュアル改訂版の作成にあたっては、国内外の研究について系統的にキーワードを用いて文献検索し、できるだけ客観的な疫学的な評価に基づくマニュアルに近づけるように努力しました。