総合保健科学:広島大学保健管理センター研究論文集
Vol. 27, 2011, 99-102
総 説
『化学物質過敏症』とは何か?
日山 亨1),横崎 恭之1),吉原 正治1)
What is “Multiple Chemical Sensitivity”?
Toru HIYAMA1),Yasuyuki YOKOSAKI1),Masaharu YOSHIHARA1)
1)広島大学保健管理センター1)Health Service Center, Hiroshima University
I.はじめに
2010年2月,有機溶剤により化学物質過敏症になった男性が,眼球運動の障害を後遺障害として,労災認定されたという記事が新聞に掲載された1)。
化学物質過敏症の後遺症が労災認定されたのは初めてとみられるとのことである。
一方,訴訟事例をみてみても,近年,病院勤務の看護師が,消毒液のグルタルアルデヒドの影響で化学物質過敏症に罹患したことについて,病院側の安全配慮義務違反が認められた事例2)や,高校生がストーブの使用により化学物質過敏症に罹患したと認定され,輸入業者の製造物責任が肯定された事例3)がある。
他にも,医学部生が解剖実習中,ホルムアルデヒドにより化学物質過敏症に罹患したのは,大学側が安全配慮義務を怠ったとして提訴された訴訟事例4)などもある。
このように化学物質過敏症は,近年,保健衛生において話題になってきている疾患の一つであり,しかも,大学は実験等で非常に多種類の化学物質を使用していることから,われわれ大学保健管理担当者のみならず,化学物質を使用する大学職員等は皆知っておくべき疾患であろう。しかしながら,化学物質過敏症に関しては,いまだ,その定義,診断方法の検証が十分とはいえない部分が多く,疾患概念自体に疑問を持つ者もいる5, 6)。
そこで,本稿では,現在の化学物質過敏症に関する理解状況をまとめてみたい。
Ⅱ.疾患概念
化学物質過敏症( 海外では,「MultipleChemical Sensitivity (MCS)」の名称が一般に使用されている)は,「大量の化学物質に曝露されたあと,あるいは長期間慢性的に化学物質に曝露されたあと,次の機会に通常ではなんら影響のないごく低濃度の同種,あるいは多種類の化学物質に曝露されたとき多臓器にわたって様々な不快な症状を呈する疾患」と定義されている7)。
1950年代に米国のRandolph8)が化学物質への曝露によって発生する過敏反応の可能性を提唱した。
その後,1980年代に同じく米国のCullen9)によってMCSの概念が提唱された。
現在では,MCS の代わりにIdiopathic Environmental Intolerance (IEI)という用語が使用される場合もある。