-3:ぼくが中学校の耐震工事で化学物質過敏症になって七年がたちました。 | 化学物質過敏症 runのブログ

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ただ校舎に入れるかどうかが問題。両親と一〇校くらい見学をしてまわりました。校舎に入れる学校でも「来ないでくれ」というところも。

五、六校回り始めたくらいから、無理だとわかると泣きたい気持ちになりましたね。

実際、何回か泣きましたね。
本当は、地元の多くの友だちが行く公立高校が第一志望でした。
校舎にも入れたし、合格圏でもあったし、病気のこともお話をして、試験に通れば受け入れるということだった。

でも、裏切られましたけれどね。受験の日は、「暖房はつけないで」とお願いしておいたのに、校舎の入口にガスヒーターがついていて。

「おお!」という感じ。

入口にそれでは、自分にとっては無言で来るなといっているようなもの。

すぐに反応して体調は最悪。吐きそうになりながら試験を受けることになりました。

いまでもくたばれという感じですね。試験当日に自分で落ちたとわかる感じだったので。
それで、二次志望にしていた私立のW高校に進学しました。こ
こは、見学したときから、校舎にも入れて、先生方の受け入れ姿勢も大丈夫だったので、「やっとみつかったなあ」という感じの高校でした。

W高校は健康なときに過ごしたかったと思います。

高校はなんかやり残した感が。みんなに負担をかけたなあという思いですね。

冷暖房もうちのクラスだけなしで、ベランダから授業を受けることもあったので、窓も開けっ放しなんです。

ぼくは慣れているからいいけれど、寒いですよね(笑

註8
北里大学病院で診断を受け
た後、東京都杉並区にある
「そよ風クリニック」に通院。
註9
三年間クラスは替わらず、ちょっとユニークな小中高校の一貫校でもあった。かなりみんなほんわかして見え、馴染むのにちょっと苦労したかな。高校の修学旅行は行程も厳しく先生たちは参加に難色を示した。結局飛行機には乗れないことがわり断念した。