時間旅行をつづけます。
高校を卒業した本間さんに会いにいきましょう。
会社に就職したんですね。
おめでとうございます。
「あっ、トラベラーさん。本当は大学に行きたかったんです。でも、無理でしょ。だから、就職したんです」
以前、会社を経営するって言っていましたけど……。
「しーっ。そんなこと言える環境じゃないです。いいですか、22歳までに結婚しろ、と会社も世間もうるさいんですよ」
23歳になって結婚していないと、「ハイミス」。
25歳で独身だと、「オールドミス」という時代だった。
そんな時代に生きるOLである。
さらに、貧しかった子どものころの記憶もある。
なので、本間には、しあわせな結婚をして、しあわせな家庭をつくりたい、という思いが強くなっていく。
22歳で結婚、会社をやめた。
当時は、結婚イコール退職、だ。
およそ10年、主婦をしつつ、家でタイプの内職。
子どももできた。
だが、夫婦の仲に亀裂が入っていく。
原因は夫だった。
家を建てて引っ越してまもなく、離婚する。
家をもらい売却したので、まとまったカネが手に入った。
住まいは、実家。手に入ったカネでマンションを買い、人に貸した。
その家賃が、懐にはいってきた。そして、実家にいるので、自分に何かあっても、親に子どもを見てもらえる。
デザイン事務所で働いた。
アメリカに短期留学して大学生気分も味わった。
帰国してからは、横浜のデパートで仕事をした。
ゴルフショップの臨時店員。ばつぐんな売り上げだったので、とあるショップの店長になってと頼まれた。
バイトのつもりなのでと断ったけれど、聞いてくれない。
1年だけという約束で店長をした。
◇
タイムマシンは、1年後の本間さんを見つけました。
これから、どこに行くんですか?
「トラベラーさん。これから、エステの学校に行きます。じつは、こんなことがありまして……」
ゴルフウェアの店長をしていたら、若い女性がこんな会話をしていた。
「30万円出して、エステに行き始めたんだ」
エステにそんなにお金を使うなんて、考えられない。
貧乏な子ども時代を過ごした自分には、エステなんて無縁な世界だ。
そう思っていた。
でも、ピンと来た。
エステの時代が来るかも。
そして、約束どおり店長を1年でやめ、エステの学校に通い始めたのだ。
卒業し、エステサロンで働いた。
くたくたになる日々。
なぜか、顔が黒くなっていった。
医師には、病気ではない、と診断される。
黒い顔では仕事に行けない。自分がエステに行く。
そこで、子どものときの決意を思い出した。
〈会社を経営して、だれにもバカにされない人間になる!〉
◇
タイムマシンは1991年、42歳の本間さんがいます。
サロン開業ですね、おめでとうございます。
「ありがとうございます、タイムトラベラーさん。美顔と痩身(そうしん)のエステサロンです。ちょっと田舎ですが、本当にいいものをしていけば、お客さんは来ると信じています」
中高年の女性客が、ついた。
ただ、美顔の施術をしていると、髪の毛がずれる人がいた。
かつらをつけているのだ。
本間は気がつかないふりをした。
髪の毛を生やしてあげたい、と思った。
そして、発毛をしている会社から機材やノウハウを提供してもらい、発毛と育毛のコースもはじめた。
こうして、健康サロンとしての形を整えていく。
初めは女性専門だったが、女性客から「うちの息子もお願い」と頼まれるようになった。
そんな頼みを聞いているうちに、本格的に男性客も受け入れるようになった。
「タイムトラベラーさん。こうして、しあわせに暮らしましたとさ、めでたしめでたし、では終わらないですよねえ。わたしの半生を、わざわざ見に来たのですから」
そうです、残念ですが。そ
れは、10年後に、本間さんの身に起こります。
◇
開業してから10年。サロンの経営は順調です。
本間さん、何かひらめいたようです。
どうしました?
「トラベラーさん。10年目のご褒美として、自分に何か残そうと思うんです」
やめておいた方がいい気が……。
おっと、タイムトラベラーの掟(おきて)を破るところでした。
過去の出来事に手を加えてはなりません。
本間は、神奈川の葉山に、別荘を買った。
御用邸が見下ろせる丘にある、すばらしい別荘だった。
家のドアをあけて中に入る。
窓をあける。
カビだらけだった。
畳もかびていた。
ずっとしめっきりだったからだ。
かびを全部とって、板の間をとりかえてもらって、住めるようにした。
引っ越して、荷物をすべて入れた。
お気に入りだった高級家具なども。
住み始めた。かびのにおいがする。
相談すると業者は、超強烈な防かび剤を、家中に噴霧した。
その霧が、家中に漂った。
ある霧は、畳に浸透していく。ある霧は、壁の中へ。
ある霧は、木製の家具の中へ。
ある霧は、金属などに付着する。
そして……。
本間もまた、その霧を大量に吸い込んでいくのだった。
本間さんが、胸をおさえています。
どうしました?
「トラベラーさん。心臓がばくばくするんです。これまで病気をしたことがなかったんですが」
本間さんが目をおさえています。
大丈夫ですか?
「わたし、視力は1・5なんです。でも、見るものすべてがぼやけているんです。まるで、すりガラスを通して見ているみたい」
とにかく医者に行きましょう。
診断は、化学物質過敏症という過酷な難病だった。
専門の病院に行って、かかっていることを確認した。