(魂の中小企業)貧乏、難病、ど根性 | 化学物質過敏症 runのブログ

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(魂の中小企業)貧乏、難病、ど根性

2016年4月12日22時00分
神奈川県の横須賀市。京浜急行の汐入駅からほど近くにある6階建てのビル。

そこに健康サロンがあります。

 店の名は「アフロディーテ」。

ギリシャ神話にでてくる美と愛の女神の名です。



本間初枝さんは貧乏や難病を、みんな笑い飛ばしてくれました=神奈川県横須賀市の健康サロン「アフロディーテ」

 髪の毛に悩む人たちが、たくさん訪れています。

自然な材料にこだわった無添加の頭皮ケア用品をつかい、毛髪を生やし、育てているのです。

また、そのノウハウを、北海道から沖縄まで全国のサロンに提供しています。

 ログイン前の続き社長は、本間初枝さん、67歳。

 1991年に、横須賀で小さなサロンをはじめ、2009年にいまのビルを買って移ってきました。

なかなかの敏腕です。

地域への貢献で、神奈川県から表彰されるほどの人物です。

 

けれど、そんな本間さんの歩んできた半生は、簡単なものではありませんでした。

 

久しぶりに、みなさんと時間旅行をいたしましょう。

1955年ごろにセットして、では、タイムマシンでGO!

     ◇

 ここは、神奈川のとある場所にある呉服屋です。

あっ、小学1年生の本間さん発見。

ここの娘さんだったんですね。


 こんにちは、初枝ちゃん、タイムトラベラーと申します。

 「こんにちは。ねえねえ、これなあに?」

 本間さんが指さしたもの、それは、赤い札でした。

家具などそこら中に、ぺたぺたとはられています。

差し押さえの赤い札でした。

 幼稚園のころまでは、それなりにいい暮らしでした。

ところが小学1年のとき、呉服屋が倒産してしまったのです。

 本間さんたち一家は、近くの民家に引っ越すことに。

いいや、民家ではなく、その中にある6畳一部屋だけを借りたのでした。

その部屋に父、母、兄、そして本間。父と母は働きに出ました。

 兄とふたりで、夕飯の支度。外の水道でコメをとぎ、火鉢で炊く。近所のスーパーで、おかずを一品買って、ふたりで食べた。

 親戚たちは助けてくれなかった。

父は子どもたちに厳命した。

 「もう親戚のところには行くな」

     ◇

お正月です。

級友たちと集まっています。

本間さんは振り袖姿。

これは赤札の対象ではなかったのでしょう。

聞いてみましょう、どこに行くの?

 「あっ、トラベラーさん。これから、先生の家に行くの」

 年始のあいさつに行くようです。ついて行ってみましょう。

 いらっしゃい、よく来たわねえ、と先生。

その先生が、子どもたちに声をかけていく。

本間には「へえ、着物、持ってたんだね」と言った。

 「ねえ、トラベラーさん。わたし、先生にバカにされたのかな。貧乏だからかな?」

 その数日後です。

教室に、本間さん発見。

3学期の始業式の日のようです。

あれ、本間さんだけ、さびしそう。

クラスのみんなが、楽しそうに話をしているのに。

どうしたの、初枝ちゃん?

 「トラベラーさん。だってえ……」

 級友たちは、お年玉をいくらもらったか、と言い合っている。

だが、貧乏だったので親からはお年玉をもらえないし、親戚のうちにも行けない。

だから、お年玉はゼロだったのだ。

 「トラベラーさん、わたし、お正月って大嫌い」

 そろばんなどの教材が買えないことも、悲しかった。

 小学4年か5年のころのこと。父が、引っ越すぞ、と言ってきた。

占師から、どこどこに空き家があるから、そこを借りなさい、運が向く、とすすめられたらしい。

 はたして、占師の言うとおり、そこに空き家があった。わらぶき屋根の、みすぼらしい家だった。

近所の人が、「あなた、あそこの家の子どもでしょ?」などと、さげすむ、ばかにする。

 その言葉が、本間の心に突き刺さった。

 「トラベラーさん。わたしは、会社を経営して、ぜったいバカにされない人間になってみせるから」

 中学では、応援団に入った。フレーフレー。

自分の考えをしっかり主張していけるようになりたかったのである。

家族の生活は、少しずつ安定してきた。

なんとか高校に行かせてもらえた。


runより:少々独特な文章ですが化学物質過敏症では生い立ちも関わっているのでやり方は色々ですが人生を振り返る事が大事です。

この記事は続きます。