そして、翌日。
日曜日で仕事が休みだった夫は娘を連れ、午前中、近くの羽田空港に飛行機を見に行った。昼前に2人が帰宅。
娘の食事が始まった。
いつものように、機械的に食事を娘の口元に運ぶ被告。
一方、夫の食事はなかった。
夫は怒った。
「もう何もしなくていい。俺のごはんも、娘のごはんも、もう作らなくていい」。そう言って、夫は昼食を食べに外出した。
家には被告と娘が残された。
被告「好きで結婚したはずなのに、夫は何も信じてくれない。私はもういらないんだと思いました」
一番かわいい娘と一緒に逝こう――。
被告はキッチンから包丁を持ち出し、リビングで寝ていた娘のもとへ向かった。
仰向けで寝ている娘の横に座り、包丁を振り下ろした。娘の顔は見られなかった。
「チック、いや」。
娘の泣き声が聞こえた。娘は日ごろ、注射などの際に同じ言葉を口にしていた。
小さな両手で包丁を押さえようとしているのもわかった。
何回か胸や背中を刺したが、泣き声はやまない。
枕に敷いてあったタオルを、娘の首に回した。締め付けると、次第に娘はぐったりした。
「死んじゃった」と思った。
今度は被告自身の腹を刺した。
しかし、10回ほど刺しても死ねない。
首をつろうと携帯電話のコードやベルトを使うが、途中で切れてしまう。
そうしているうちに夫が帰宅。すぐに110番と119番をし、被告も娘も命を取り留めた。
被告「大変身勝手だったと思います。娘には、本当に、本当に、申し訳ないと思っています」
娘の傷は浅く、全治2週間だった。
ただ、3歳の心にも傷が残った。
事件後、娘は「ママ」という言葉を発しなくなったという。
「信じていた母親に裏切られたからかもしれない」。
夫は法廷でそう語った。
そして、被告と離婚協議中であることを明かし、「私と娘の人生には、今後一切関わってほしくない」。
親権は自身が持つ、と述べた。
弁護人「ご主人から離婚や親権のことを言われ、どう思いましたか」
被告「当然のことだと思います」
弁護人「今後は、娘のためにどうすべきだと思いますか」
被告「娘が早く幸せになって毎日を過ごせるよう、遠くから見守ることが一番だと思います」
被告は娘が望まない限り面会を求めないという。
ただ、数カ月おきに、娘の写真を送ってもらうことを離婚の条件であげている。
一方で、体調不良の原因については、今もマンションが原因だと思っている、と明かした。
検察側は「長女に殺される理由はなく、動機は身勝手だ」として懲役5年を求刑。
弁護側は「体調不良で精神的にも不安定だった。反省もしている」と執行猶予付きの判決を求めた。
そして、最終意見陳述。
被告「娘に与えた心の傷が、心配で心配でなりません。娘には、世界で一番幸せになってほしいと思います」
そしてこう続けた。
被告「私と娘の命を救ってくれた主人に、ありがとうと言いたいです」
6月19日。
前田巌裁判長は、被告に懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。
「動機は身勝手」と断じつつ、「精神的に弱り、家族の中で孤立感を募らせていた」と指摘した。
一方で、被告の体調不良の原因については、明言を避けた。
しかし、なぜ娘の傷は浅かったのか。
「実の娘を殺害することについてのためらいが生じ、無意識のうちに手加減を加えたものと考えられる」。
前田裁判長は、そう付け加えた。(塩入彩)
runより:化学物質過敏症を理解されず苦しみ3歳の子供と無理心中を図ろうとしてしまった化学物質過敏症患者の母親の事例です。
気持ちは痛いほど分かりますが殺しちゃダメ、無理矢理死ぬのも身勝手だ。
化学物質過敏症という病気をよく知っていれば・・・と思います、どんな病気なのかまず自分が理解していれば早まった真似をしなくて済んだと思います。
たとえ臨床環境医でも全てをフォローは出来ません、自力で何とかする病気でもあるので「知る」という事が正しい闘い方の第一歩だと私は思います。
旦那さんに上手く説明できなかったのが痛恨です、しかし相当な知識を持っていても理解しない相手は居ます。
配偶者だった場合やむなく一時的でも離婚して安全な環境で治療した方がいいと私は思います。
化学物質過敏症とはそういう病気なのだから仕方ない、ルールは病気側が持っているので患者はルールを守るしかないのです(T_T)