・ミサワホームに募る不信感
入江さんは、1998年からミサワホームに家の買い取りを交渉し、1999年は「和解」という形でそれが成立した。
だが入江一家のミサワホームに対する不信感と怒りはなおも消えていない。そして、ミサワホームの対応を次のように述べている。
「問題の家を大阪市立環境科学研究所が1996年8月に調査することが決まると、ミサワホームも8月に調査を行ない、1994年の調査より、濃度の数値を上げた調査結果を提示した。(P.35表4)
ミサワホームのデータは恣意的なところがある。
裁判を検討していたとき、ミサワホームは、『日本にはガイドラインにホルムアルデヒドしかないし、しかも判例がない。健康被害に関しては、国の基準もないから、そちらが裁判に負ける』と裁判の取り下げを求めてきた。
また、『パッチテストで反応が出ていても、家を買う前にそのテストを受け、無反応を証明していないので、もともと入江さん一家に化学物質過敏症である可能性がある』と言う。
しかし、現実には家を買う前にそんなテストを受ける人などいない。
さらに、NHK(「発信基地'96」新築なのに住めない)にテレビ出演するとき、ミサワホームは、『出演はやめてくれ』と説得してきたと怒りをあらわにした。また「リフォームしても、これだけ高濃度の化学物質が出るのは、パネル工法で組まれた外(躯体)が原因としか考えられない。
パネルは外国のもので、ボンドを多量に使っていると聞く。そしてもともと気密性の高い家なのに、換気のシステムがなかった」と述べた。
学校の無理解が子どもを追い詰める
深刻なのは子どもの問題だと入江さん夫婦は頭をかかえる。
現在、3人の子どもたちは学校に通えず外出ができない状態にある。微量の化学物質にも反応してしまうからだ。
とくに入江さん夫婦が憤るのは学校側の無理解だという。
「教師や教育委員会に、資料、ビデオ、診断書などを見せ、『化学物質過敏症』という病気を説明し理解を求めた。
学校では化学物質が多く、子どもは体育館のワックス、習字の墨、教科書のインクにまで反応してしまう。
しかし授業で教師は、子どもが『マジックうぃ使えない』と言っても、『お前は一生化学物質から逃げるのか。1回使ってみなさい』と無理強いさせたりする。子どもは鼻血が止まらなくなり、顔もパンパンに腫れた。
『ソバアレルギーの子どもにソバを食べさせて、死ななくて良かったね』という感覚だ」と憤る。
学校が、パソコン教室や昇降機の設置、廊下の塗装などペンキを多量に使用する際に、「子どもの命にかかわる」と入江さんは学校側にその組成表を求めてきた。
塗装工事のときに、子どもが不調を訴えるからだ。
学校を通じて、業者から提示された資料には、その塗料に有害な化学物質であるクロム酸鉛、ホワイトスピリット、キシレン、メチルエチルケトオキシムなどが含まれていた。
対応をせまると、学校側は「文部省が、どのペンキを使用するかの基準を決めてくれたら、私たちは動く。しかし現状ではその基準がない」と工事を続行させた。
入江さんは「厚生省が基準をつくらないから私たちの病気を補償しなくていいというミサワホームの考え方と同じ」とい言う。
また「現在教育を受けられないうちの子どもに教育権の保証ををしてくれとずっと訴えているが、学校側はほったらかし。すべての子どもたちに教育権をと、オウムの子どもたちにもそれが保証されているのに」と述べた。
「生きていたってしかたない」
入江さんの子どもたちの精神状態は、無気力に陥るなど、不安なものとなっている。
とくに長男は、「生きていたってしかたがない」などの言葉を口にするという。アトピー性皮膚炎が悪化したことから、学校内でクラスメイトからのいじめにあったり、教師の暴言など、周囲の病気に対する無理解や偏見が子どもたちを追い詰めている。
化学物質過敏症の難しさは「当事者にならないとその苦しみが本当にわからないことだ」と入江さんは言う。
「私の父、母でさえ、洗剤やカビ除去剤などが悪いと思っていても、ついつい使ってしまう。だから一緒に住むのが不可能な状態。身内にもなかなか理解してもらえないのが一番つらい」と語っている。
現在、入江さん一家5人だけで、入江家の実家に暮らしている。
室内で飼う3匹の犬が、友人のできない子どもたちを和ませている。
入江さん夫婦をインタビューした部屋には、ダンボールに入った炭が置かれていた。
家には問題がないが、どうしても微量の化学物質が発生し、それを吸引するためである。それを見て、入江さん一家は世間から孤立無援に隔離されているように思えた。