2 争点
(1) グルタルアルデヒドと原告の症状との因果関係
(2) 被告の安全配慮義務違反
(3) 損害額
3 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(グルタルアルデヒドと原告の症状との因果関係)について
(原告の主張)
原告がグルタルアルデヒドに暴露した時期及び原告の症状は,別紙「原告
勤務状況及び病状一覧」の原告の主張欄のとおりである。
グルタルアルデヒドは一般的に化学物質過敏症の原因となるところ,原告
は高濃度のグルタルアルデヒドが暴露されていた透視室で長期間継続して作業に従事していたため,急性症状を発症した後,それに継続する形で化学物質過敏症を発症させたのであり,原告の現症状である化学物質過敏症は,被告病院におけるグルタルアルデヒドの暴露によるものである。
(被告の主張)
原告がグルタルアルデヒドに暴露した時期及び原告の症状は,別紙「原告
勤務状況及び病状一覧」の被告の主張欄のとおりである。
化学物質過敏症は,近年いわゆるシックハウス症候群などとの関連性から
取り上げられるようになった疾患名で,その定義は未だ曖昧であり,発生機
序・原因を含め病態の十分な解明はされておらず,その病態の存在自体が議論の対象となる段階にある。
かかる状況に照らせば,原告が化学物質過敏症との診断を受けた事実は,原告の主張を裏付けるものではなく,仮に原告の主張するような状況が原告に発生しているとしても,その原因は被告病院におけるグルタルアルデヒドの暴露であると判断すべき根拠は存在しない。
(2) 争点(2)(被告の安全配慮義務違反の有無)について
(原告の主張)
ア予見可能性について
化学物質を原因とする健康被害が生じた場合に,被害者側に化学物質の
危険性について,化学的に詳細かつ厳密に立証することを求めることは,
実質上被害者救済の道を閉ざすことになること,危険責任もしくは報償責
任の視点からも化学物質を利用することによって利益を得ている加害者の
責任が問われないのは不当なことからすると,化学物質による健康被害事
案における予見可能性の有無を判断するにあたっては,当該債務不履行行
為(侵害行為)によって発生する病態(症状)の具体的な内容やその疾患
名までは予見することができなくとも,当該債務不履行によって何らかの
病態が発生するおそれがあることについて予見することができれば,その
病態の発生についても予見可能性ありと評価すべきである。
したがって,
本件における予見の対象としては,原告がグルタルアルデヒドに暴露した
結果,刺激(急性)症状を越えた何らかの症状が生じるおそれがあることととらえるべきである。
また,被告は,総合病院を組織し,経営している医療機関であることにかんがみれば,「総合病院を組織し,経営する医療機関として,そこで就業している労働者の健康管理につき,十分な注意を尽くさなければならない」との法理が導かれるから,一般には予見できないような具体的危険についても予見可能とされる場合があり,かつ,問診等の場面で顕著なように,原因又は病名の特定はできないものの何らかの疾患の疑いがあると認められる場合には,原因を特定し適切な処置をとるために必要な検査その他の情報収集措置をとることが義務づけられているというべきである。
また,被告病院は,常時50人以上の従業員を雇用していたから,労働安全衛生法上,衛生管理者,産業医,衛生委員会の設置義務を負い,これらの仕組みを通じて,被告病院における衛生管理を行い,労働者が職場の有害物質によって健康被害を受けないように未然に防止し,あるいは有害物質に暴露した場合にはただちに継続的な暴露を避ける措置を採るなど被害の拡大を回避する措置を講ずべきであり,特に医療機関である被告には通常の場合以上に高い調査能力があるとともに,有害物による健康被害の高度のリスクがある職場としての高度の調査義務が課せられていたというべきである。
以上からすると,①原告が被告病院の検査科において業務に従事するよ
うになった平成9年8月時点で,グルタルアルデヒドの暴露によって原告に刺激(急性)症状を越えた何らかの症状が生じる(健康被害を受ける)ことについての予見可能性が十分に認められ,仮に①の時点で予見可能性が認められないとしても,②原告が正式に検査科に配属された平成10年5月時点,③ステリハイドからサイデックスに変更された平成11年1月時点,④原告からの改善要望がされた平成12年3月時点において被告には前記予見可能性があったことは明らかである。
イ結果回避義務違反について
前記のとおり,原告が化学物質過敏症に罹患するおそれがあったこと,もしくは原告に刺激(急性)症状を越えた症状(健康被害)が生じるおそれがあったことについて被告が予見することは十分に可能であったから,被告は,グルタルアルデヒド暴露によって生じる刺激(急性)症状に対する暴露防止対策を講ずるべき義務があったところ,被告は,次のとおり,他の医療機関であれば通常取っている急性症状対策すら怠っていたものである。
(ア) グルタラール製剤の添付文書や注意書に医療従事者のグルタルアル
デヒド暴露の防止措置について詳しい説明がなされていたにもかかわら
ず,被告は透視室に十分な換気設備を設けなかったため,透視室内にお
いてグルタルアルデヒド濃度0.20ppmという高濃度が計測される環境であった。
また,医療従事者に対し暴露防止対策の指導を行わず,単に製剤の添付文書の記載内容を知らせ,手袋,マスク及びゴーグルの着用も医療従事者の自主的判断に委ねているだけであった。さらに,被告は,原告をはじめとする被告病院の医療従事者に対し,グルタラ
ール製剤の添付文書において禁止されているのにグルタルアルデヒドを床の清掃に使用させていた。
(イ) 被告病院においては,遅くとも平成10年6月以後,原告の症状を
被告の衛生管理者である医師が把握し,その後も原告の体調不良につき
知っていたのであるから,ステリハイドやサイデックスへの暴露とそれに対する防止策についての問題意識をもって調査をすれば,容易にその有害性と暴露による発症事例を知り得たにもかかわらず,医療機関における有害物質暴露に伴う職員の健康問題について,被告の衛生管理者,産業医は,いずれも通常の医師と患者との関係での診療行為以上の調査,検討,連絡を行わず,それらの専門家などから構成されていたはずの衛生委員会も開催された形跡もなく,原告からの意見や改善要望の受け皿にならず,何ら機能していなかった。