第26章 喪失を深く悲しむ-3 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・罪悪感

過去を振り返ってみたとき、病気になった自分を責めてもさしつかえありません。

病気になるという結果をもたらした、自分が犯したミスを求めて過去を調べてもよいです。

「もう少しもっと体を大事にしさえすれば」「もう少しストレスをよく管理さえしたならば」あるいは「もう少し体にもっと注意を払っていたならば」のようなことを、自分に言い聞かせるかもしれません。

しかしCFSあるいは線維筋痛の原因は誰も知らないのが真実です。

遺伝的感受性のような、我々の自由にならない因子が両方で主要な役割を果たすことは判明しそうです。

我々は、病気になった人々を時々非難する社会に住んでいます。

きちんと食べて、運動して、そして適切な考え方をするならば、我々が疾患を避けられたろうというありふれた考えがあります。

けれども、実のところは、我々は傷つきやすく、遺伝子はコントロールできず、そして我々が分からない多くの力を受けます。

何かを独学するために病気になりたかったという考えを受け入れないでください。

このような考えはただ慢性疾患の苦しみを増やすだけです。

あなたが働けないか、あるいはこれまで通りに家で同じことができないならば、あなたは罪悪感も持つかもしれません。

生産性を強調する社会に住んで、以前と比べて多くをできないという罪悪感を持つことはよくあります。

現実的なやり方で自分の置かれた状況を見ることは妥当です。

あなたが他の人たちと一緒に生活するならば、あなたの疾患のせいで、たぶんあなたの家族の中で責任の再分配を引き起こしたはずです。

けれども、あなたが好きで病気になったわけでなく、疾患が自分のすることに現実の制限を課したことを思い出すことは助けにもなります。

これから先、自分を大事にする動機となるならば、罪悪感は役立つことができますが、自分の疾患を個人の失敗と考えるならば、それはあなたを陥れる罠(わな)となり得ます。

何が前に起きたとしても、あなたは、適切な休息を取ることをはじめ、運動をする、症状を緩和するために薬を服用する、ストレスを軽減するためリラックスする、援助関係を作る、責任の妥当な量(しかし大きくない)を受け入れる、生活に楽しみを持つ、そして新たな興味を見いだすなどのような戦略を使って、ちょうど今を境にして、コントロールすることができます。

悲しみと抑鬱

抑鬱と、悲しみの気持ちは慢性疾患でよく見られます。

これらは喪失、不確実さ、制限と、症状の不快に対する自然な反応です。

抑鬱は、停止することによってさらなるストレスあるいは精神的ショックを減らす反応であり、時間がすでに起きたことを処理するのを可能にします。

抑鬱はまた、診断が下されるまでの長期間の苦しみによって引き起こされるかもしれません。

何年もの不適切なあるいは無神経な治療は絶望感を引き起こすかもしれません。

抑鬱は普通、時間とともに和らぎます。

抑鬱が続くならば、あなたは絶望と無気力という実感を持つでしょう。幾つかの戦略が役立つかもしれません。

第一に、以前の章の中で論じてきたような自助技術を使うことによって、すべてが絶望的であるという考えを否定して、あなたが先へ進むのを助けることができます。

第二に、自助技術がより現実的で、希望的となるように、あなたは自分の考えを再構成することに取り組むことができます。

(あなたの考えを変えるための3ステップのプロセスについては、第31章を見てください)。

第三に、非常に多くのCFS患者と線維筋痛患者が臨床的鬱病で苦しむので、あなたは専門家の指導と投薬によって助けられるかもしれません。