第8章 制限(エネルギーエンベロープ)を見付ける-2 | 化学物質過敏症 runのブログ

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五〇パーセントの解決法

制限について考え、制限の中で生活する二つ目の方法は、William Collinge が彼の著 Recovering from chronic Fatigue Syndrome (「慢性疲労症候群からの回復」)の中で詳しく説明した「五〇パーセントの解決法」と呼ばれる方法です。彼は、1日に成し遂げることができる量を見積もって、次にそれを二分し、量の少ない方をするように提案します。

自分の制限に挑戦するのではなく、活動を安全なレベルに保ちます。

消費されていないエネルギーは、自分の体に与える癒やしという贈り物です。

Collinge のアイデアは、我々が、成し遂げる量を過大に見積もる傾向にあることにうまく対処した独創的な方法です。

もう一つの利点は、自分のことは自分でやることです。


エネルギー銀行口座

制限について考える三つ目の方法は、自分のエネルギーを、銀行預金口座に蓄えられているお金だと想像します。

CFSやFMのせいで、あなたの口座にはわずかな残高しかありません。

健康な人は夜の7、8時間の睡眠で1日分の活動のエネルギーを蓄えることができますが、CFSやFMの人々は夜の睡眠でほんの数時間分のエネルギーしか蓄えられません。

利用可能なエネルギー量はわずかなので、手持ちのエネルギーよりも多くを使って、口座から借り越しがちになります。

口座から借り越せば、しばしば高い手数料(症状の悪化)が発生します。

ひとたび借り越したならば、休息というかたちで自分の口座にさらに預金しなければなりません。

しかし、きちんと時間配分して、使うエネルギー量を管理すれば、回復のためのエネルギーをいくらか取っておくことができます。

Vicki Lockwood は、記事 “My Energy Bank Account” (「私のエネルギー銀行口座」)の中で、彼女が自分の生活でどのようにこの手法を使うか説明します。

ボウルの中のビー玉

同じようなアイデアとして、ボウルの中のビー玉を使う手法があります。

この手法は、利用可能なエネルギーを、ボウルの中のビー玉だと想像します。

1個のビー玉は少量のエネルギーを表します。毎朝自分のエネルギーレベルを見積もって、ボウルの中に適正な数のビー玉を入れます。

(我々のプログラムの一部の人々は、実際にビー玉あるいはコインを使ってボウルに入れ、このアイデアを文字どおりに取り入れます。他の人たちは頭の中で計算します)

どんな活動でも、あなたは1個以上のビー玉をボウルの中から取り出します。

シャワーを浴びて1個、身支度で1個、などなど。

大きな活動は、他の活動より多くのビー玉を取ります。

また、同じ作業でも、調子の良い日より悪い日のほうが多くのビー玉を必要とするかもしれません。

身体活動はボウルの中のビー玉を使い尽くしますが、精神的・感情的な活動も同様にビー玉を使い尽くします。

例えば、自分が持っているビー玉の少なさにフラストレーションを感じているならば、そのフラストレーションがビー玉を幾つか使うでしょう。

ストレス、緊張、恐れはすべて、ビー玉の大口消費者です。

これらを減らすことができれば、他の活動に使うビー玉を維持できるでしょう。

スプーン理論

制限について考え、制限の観念を他の人に説明する別の方法は、「スプーン理論」と呼ばれます。

これは、狼瘡(ろうそう)の女性、Christine Miserandino が書いた記事のタイトルです(記事は http://www.butyoudontlooksick.com/wpress/articles/written-by-christine/the-spoon-theory/ に掲載されています)。

彼女は、かつて友人に、重い病気を抱えて生活することがどんなに大変であるかを説明したときのことを記述しています。

彼女は利用可能なエネルギーを、スプーンに見立てて説明しました。

彼女はその日の自分のエネルギー配分を表す12本のスプーンを友人に渡します。

そして、友人が想像した作業をするたび、Christine は1本以上のスプーンを取り去ります。

彼女がただ仕事に行く準備をするだけで、友人はスプーンの半分を使います。

そして、友人は、選択することと、違うものの考え方をするよう強いられます。

Christine は自分の生活を健康な人の生活と対比します。

「他の人々は簡単に物事を行うことができますが、……私は計画を立てなければなりません。……人々はスプーン理論をいったん理解すると、私の状況をよく分かってくれるようです」