家庭でのごみの分別は、昭和のはじめ頃から始まりました。
当時は厨芥(台所ごみ)と雑芥(その他のごみ)を、町内に設けられたごみ箱に分けて入れるというものでした。当時からごみの一部は焼却処理されていました。
厨芥は水分が多くて燃えづらいため、また燃やすごみの量を減らすためにこのような区分を設けたようです。
厨芥を速やかに家から持ち出すことができ、ごみ箱にふたをすることで、発生するハエの防止効果も大きかったようです。
その後、日本は戦争を経て高度成長時代に入り、ごみに占める紙やプラスチックの割合が増えて、厨芥が混ざっていても燃えやすくなり、燃えるごみ、燃やせないごみ、また、ごみを減らしてリサイクルするための資源ごみ、といった現在の区分ができあがりました。
雨がよく降る日本では、埋立地では汚水である浸出水の処理が課題でした。
ごみを埋めると土をかぶせ、底に管を仕込んで水を抜く「衛生埋立」という埋立方式が一般的でした。
衛生埋立では、ハエや悪臭などの発生は抑えられるのですが、埋立地の中の空気がすぐに無くなって嫌気性という状態になり、たくさん降る雨が染みこんでドロドロの浸出水が発生しはじめます。
1970年代に福岡市と福岡大学は、埋立地に集排水管とガス抜き管を接続して設置し、埋め立てたごみの中に空気を送り込んで有機物等の分解を促進し、浸出水の水質を改善する「準好気性埋立(または福岡方式)」という埋立工法を開発しました。
嫌気性状態ではメタンガスという可燃性の温室効果ガスが数十年に渡って発生しつづけますが、準好気性埋立はこれも抑えることができます。
雨が多い地域に適した埋立工法として、日本の埋立地のほとんどは、準好気性埋立を採用するようになりました。
昔の日本ではし尿は家々の便壺に溜めて、肥料として活用されていました。
しかし、農業で化学肥料が普及して、農村から都市への人口流入が進むと、し尿は資源から一転してごみとなりました。
このような汚物を処理する下水道の敷設は大事業であり、大都市から外れた郊外にはなかなか届きません。
そこで日本では、いわゆるくみ取り式トイレの便壺からし尿を収集して、し尿処理施設で処理するシステムを作り上げました。
時を経て下水道が普及し始めると水洗式のトイレも同時に広がります。
すると、下水道がない地域でも清潔な水洗式トイレが求められ、家々でトイレから水で流されてきたし尿を処理する汚水処理装置である(単独処理)浄化槽が登場しました。