・〈患者を生きる:2062〉編入後は中庭で授業
定時制高校を受験。授業も中庭などで受けた=2004年3月
■免疫と病気 においが怖い:3
学校や街のさまざまなにおい(化学物質)で体調を崩す大阪市の入江紘司さん(28)は、教師らの理解を得られず、高校1年の冬、不登校になった。
自宅でほぼ寝たきりになった。
大阪府内の心療内科で「心的外傷後ストレス障害」と診断され、高校2年の2000年春から休学した。
症状を定期的に学校に説明していたが、6月、改めて診断書をもらうため主治医の宮田幹夫医師(76)を訪ねた。
北里大学病院(神奈川県)から、北里研究所病院(東京都)のアレルギー科に移っていた。
さまざまなにおいや物質で不調になる「化学物質過敏症」と診断された。「特効薬はない。汗をかいて有害物質を体から出すことが有効」といわれ、近くのトレーニングジムに通った。
小さいころからアトピー性皮膚炎があり、汗で悪化したが、耐えた。
寝込むこともあったが、次第に「においで気分が悪くなる状況は変わらない。でも、我慢はできそうだ」と手応えをつかんだ。
03年、病気への無理解から不登校になったなどとして学校法人を相手に裁判を起こす一方、働き口を探した。
化学物質を吸着するゼオライトの掘削現場を見学したり、木工品を造る木地師(きじし)を訪ねたり。
調子を崩しては自宅に戻り、よくなるとまた各地を巡った。
自宅にいるときはギター作りに励んだ。
「部屋で、のこぎりやカッターナイフを使って削った。接着剤は食用ゼラチン」。
構想、設計から考え、2年をかけて作り上げた。
裁判が04年3月に和解すると、4月から大阪府立北野高校の定時制に編入した。
職探しの難しさもあったが、「『学校』にあこがれていた」。
授業は、教室よりにおいが少ない中庭で受けた。
上下方向の目の動きが悪いので、国語の教師は縦書きの教科書を横書きに直してくれた。
軽音楽部に入り、文化祭などで演奏した。充実した生活だった。
「人並みの、大学生の生活もしたい」と、定時制高校の卒業を控えた22歳の冬、大阪府の大学キャンパスを見学した。
だが、真新しい校舎やパソコン教室のにおいに耐えられなかった。
再び、行き場を失った。