・・「安全・安心懇談会」の報告書(2004年)には、「安全とは、人とその共同体への損傷、並びに人、組織、公共の所有物に損害がないと客観的に判断されることである(ここでいう所有物には無形のものも含む)」と述べられている。社会の安全を強く意識した定義になっている。
・一方,製品や機械等の人工物に対する安全について、日本工業規格JISでは、「人への危害または損傷の危険性が、許容可能な水準に抑えられている状態」、また、国際安全規格を作るためのガイドラインであるISO/IECガイド51では、「受容できないリスクがないこと(受け入れることのできないリスクからの開放)」と定義されている。
・ここで重要な概念として,リスクと許容可能という二つの用語が出てきている。
JISの「人への危害または損傷の危険性」とは「リスク」のことである。
・リスク(risk)とは、一般には潜在的な危険性の度合いと考えられているが、国際規格では「危害の発生する確率及び危害のひどさの組合せ」と厳密に定義されている。
ここで更に危害という言葉が出てくる。この危害、リスク、許容可能が、現代の安全の定義のキー概念になっている。
危害とは,前述のガイド51によれば、「人の受ける身体的傷害もしくは健康障害、または、財産もしくは環境の受ける害」となっている。
危害の範囲をどこまで考えるかは、安全という用語を使う立場で異なってくるのは当然である。
労働の現場を対象とする機械安全では、「人の受ける身体的傷害もしくは健康障害」を危害と考えるが、社会の安全を考えた場合、人だけでなく,安全・安心懇談会の定義にあるように、共同体そのものや、組織や共同体の財産まで含むのは当然である。
もし、人類や地球の安全を考えるならば、環境を入れないわけにはいかないだろう。
この危害の発生する確率(どのくらいの頻度で発生するのか)とそのひどさ(どのくらいの程度のひどさなのか)との組合せがリスクであり、リスクには大きさの概念が入っている。
そのリスクの大きさを考えて,それから受ける利便性や安全のコスト等を考慮して、受け入れてもよいと思われるまでリスクが低ければく許容可能なリスクならば)、これを安全といおうというのが安全の定義なのである。
・すなわち,考えられるすべての危険源(潜在的に存在する危険なところ)に対して、前もって,安全対策が施されていて、許容可能なリスクにまで下げられているとき、安全であるということである。
・なお、許容可能なリスクは、国際規格では「その時代の社会の価値観に基づく所与の状況下で、受け入れられるリスク」と定義されている。
もちろん、どのくらいのリスクならば許容可能なのかは、対象により、条件により、人により、時代により異なるが、大事なことは、安全といっても、リスクは常に残っているということである(これを残留リスクと呼ぶ)。
絶対安全は存在しないということを宣言している。
・これまで事故がなかったからただ単に安全であるというのではなく、前もって、すべての危険源に対してリスクが評価され、必要ならば対策が施されて、許容可能なリスクしか残っていないようになっているとき、初めて安全であるという。
そのとき、受ける利益、そのためにかけるコスト等を考慮して、残っているリスクについて受け入れることを合意し、覚悟し、納得した上で、利用し、生活していることを認識しなければならない。
・ただし、神ならぬ人間の身、見落としや予想できなかった危険源が潜んでいる可能性がある。
この意味からは、事故から学び常に見直していかなければならないということも、安全の概念と定義に含めるべきであると考えている。
このことから、「電磁波は安全か?」という質問をしたり、それに答えたりする場合は、事前に「安全」定義を確認する必要がある。
「全くリスク・危険がないことを安全(絶対安全)」と主張する場合と、上記のような立場で「受容できないリスクがないこと=許容できる範囲でのリスクの存在があることを認めた上での安全(機能安全)」と主張するのかでは、全く議論がかみ合わないことになる。