安全と危険5 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・追記: 2009-7-19にトップページに追記した情報を2011-12-25にこのページにも転記
産経新聞 2008年12月23日掲載 

正論「安全神話の崩れ去った跡に 東京大学教授 坂村健」の記事の一部の引用です。

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従来は、安全といえば「絶対な」安全性ということだった。
これは、設計製造に間違いがなく、劣化もしていない製品は安全つまり大前提としての「100%の安全」があり、それが何らかの原因で損なわれて「危険」になるという考え方である。

「絶対安全」は存在せず
これに対して世界の工業漂準を定めるISO(国際標準化機構)は、インドでの猛毒ガス流出事故など前世紀末に発した何度かの大事故を教訓に、安全基準の大転換を図った。
1999年のISOガイド51の改定で、「絶対的な安全は存在しない」と明記したのだ。

そこで「絶対安全」亡き後の安全の概念として掲げられたのが「機能安全」である。
「機能安全」とは、一言でいえば、システムに100%の安全を求めない、求められないという考え万である。
安全も速「度」や精「度」と同じような安全「度」で語るべきスペックの一つだということになる。

実は絶対安全が存存しないことは、すべての技術者が昔から心の中では実感していた。
しかし、それは社会のコンセンサスにはなっていなかった。
つまりは本音と建前である。
この建前を明確に捨てることが、社会をより安全に近づけるために重要というのが、技術分野における安全哲学の大転換だったのだ。

絶対安全を捨てることが安全を生むというのは一見矛盾する。
しかし、たとえば原子力発電所や飛行機など極度に安全を求められるシステムを考えてみよう。
絶対安全が前提なら、すべての部品について安全性を訊ねても、「100%安全です。」という答えしかない。
とすれば、その部品を使って作るシステムも「100%安全」という答えしか出てこない。
どこが要注意かといった情報は、絶対安全という建前と反する、あってはならないものとして、システム構築の流れの中で消される。
その結果事故は起こりやすくなり、また事故が起きたときの対処もうまくいかなくなる。

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<関心のある方は、当該の新聞記事全文を読んでください。>