・3.フェニトロチオンの生理学的・生化学的作用
3.1 アセチルコリンエステラーゼ阻害およびその他のエステラーゼ阻害
有機リン殺虫剤であるフェニトロチオンはコリンエステラーゼを阻害することが知られている。
コリンエステラーゼはコリンエステルを分解する酵素である。コリンエステラーゼはアセチルコリンエステラーゼ(AChE、真性コリンエステラーゼ)と、ブチルコリンエステラーゼ(BuChE、偽コリンエステラーゼ)とに分けることができる。
アセチルコリンエステラーゼは神経や赤血球に存在し、神経伝達物質であるアセチルコリンをコリンと酢酸とに分解する。
赤血球にあるアセチルコリンの作用は良く分かっていない。
ブチルコリンエステラーゼは肝臓や血清中に存在するが、その働きはほとんど分かっていない。
この酵素はさまざまなコリンエステルを分解する。
ブチルコリンエステラーゼは臨床的に使用され、高値の時はネフローゼ症候群や脂肪肝などが、低値の時は肝炎や肝硬変、一部農薬による中毒などが疑われる。
フェニトロチオンなどの有機リン剤は両コリンエステラーゼを阻害することが知られている。
Podolak and Panasiuk (1997)は有機リンの一部の生物学的影響をレビューした。
彼らによると、有機リン農薬製造従事労働者で血漿と赤血球のコリンエステラーゼ活性を調べた。
有機リン化合物生産に従事している労働者の血清のコリンエステラーゼ活性は対照よりも統計的に有意に低い。
低レベルの有機リン化合物に長期被ばくした場合、赤血球のコリンエステラーゼ活性と比較して、血漿コリンエステラーゼは敏感な被ばく指標であるという。
Sochaski et al. (2007)はラットで母親と胎児の組織中エステラーゼ活性と血中フェニトロチオン濃度を調べた。フェニトロチオンは消化器から急速に吸収され、母親や胎児のフェニトロチオン濃度はほぼ同じで、ピークは0.5-1.0 時間に現れた。
母親の肝臓と血液や胎児の肝臓と脳とのアセチルコリンエステラーゼやカルボキシルエステラーゼ活性は被ばく30-60 分以内に減少した。
エステラーゼ阻害は生殖毒性が以前関連していなかったフェニトロチオン量(3 mg/kg)で起こり、このことはエステラーゼ阻害をリスクアセスメントで重要な影響と考えるべきことを示している。
3.2 その他の酵素に対する影響
コリンエステラーゼ以外にもP450 などの酵素の代謝にも影響を及ぼす。
肝臓のミクロソームでβ-グルクロニダーゼのアクセサリータンパクにエガシンegasyn がある。
エガシンはカルボキシエステラーゼであり、β-グルクロニダーゼと複合体を作りマイクロソーム内で安定して存在する。
Satoh et al. (1999)によると、この複合体はフェニトロチオンのような有機リンにより容易に解離する。
解離するとグルクロニダーゼは血中に放出される。血漿中のβ-グルクロニダーゼの増加は急性有機リン中毒等ではアセチルコリンエステラーゼよりも敏感なバイオマーカーであるという。
3.3 脂肪組成への影響
ラットにフェニトロチオンを投与するとラットのさまざまな器官中のリン脂質や中性脂肪の割合が変化することが知られている。
この変化は機能不全や生体の性質に変化を起こすかも知れない事が指摘されている(Roy et al. 2004)。
3.4 血液中の糖や脂肪、タンパク質への影響
A ラットにフェニトロチオン(25、50、100 mg/kg)を28 日間投与すると、量依存性の血糖や血清コレステロールの上昇が見られる。
これに対して赤血球数やヘモグロビン、ヘマトクリットなどの減少が見られる。
この他に全血清タンパク質やトリグリセリド幻想が見られたが、統計的に有意でなかった(Afshar et al. 2008)。
3.5 酸化ストレス
生体の酸化ストレスはDNA を酸化し、その修復除去過程で様々なDNA 酸化物が尿中に排出される。
尿中DNA 酸化物のなかで、癌や糖尿病、有害な物質への曝露などによる酸化ストレスによるDNA 障害の指標として8-ヒドロキシデオキシグアノシンが利用される。
Lee et al. (2007)は、屋内に殺虫剤を散布する各18 人と対象18 人で、白血球や尿中の8-ヒドロキシデオキシグアノシンを測定した。
散布する人はフェニトロチオンやジクロロボス、クロロピリホス、ダイアジノン等の有機リンに主に被ばくしていたが、一部はピレスロイドやカーバメートに被ばくしていた。
尿中有機リン代謝物と尿や白血球中の8-ヒドロキシデオキシグアノシンとを測定した。
有機リン散布者の8-ヒドロキシデオキシグアノシンレベルと尿中の有機リン代謝物との間に有意な相関があり、有機リン代謝物と酸化ストレスとの間の相関を示した。