・集録検討された参考論文は98年3月末までのものらしく、6月末は校正中で、「学会報告書」の発行が98年10月(30日)で、記者会見をして声明文を発表したのが99年1月 13日である。
このスケジュールから考えると、「学会報告書」は「N最終報告書」を意識しながら作成された日本からのロビー活動の一環であったようにしか思えないのである。
官僚などが審議会で審議し報告書を作成するときに行う事なのだが、米国での経過などを横目で見ながら(いわばカンニングをしながら)、答申などにまとめる事をするからだ。
「学会報告書」もその流れと大変良く似ている。
「グループ報告書」が自分達の結論と大変に良く似た内容の場合はそのことを大々的に引用し、困る内容の場合は「今後の検討課題」にして先延ばしをはかるわけである。
発行が10月になっていながら、プレス発表が99年1月13日と2ヶ月以上も遅れている事も、その様な流れで考えれば良く理解できるであろう。
12月末に発表されると予想していた「N最終報告書」を参照した上でプレス発表をしたいと思ったのではないか。
プレス声明文が異常なほどの疫学批判で占められていることからもそのように推察することができる。
なぜなら「N最終報告書」のドラフトが12月に発表されており、通産省や電力中央研究所などは入手していたことだろうし、少なくとも米国電気産業協会(NEMA)は入手していたのだから、NEMAに参加している日本関連企業にも入っていたはずだからである。
そのドラフトでは、疫学研究が重視されておらず、動物実験や細胞研究を中心として「確固たる悪影響はない」との結論になっていて、電力会社などが大喜びする内容のものだったからだ。
そうであったからこそ、プレス声明文は、「学会報告書」の内容以上に疫学研究批判を展開していたのではないだろうか。
しかし、99年6月15日に発表された「N最終報告書」ではドラフトで無視されていた疫学研究が大幅に復活し、「発がんの可能性あり」との「グループ報告書」とほぼ同じ様な表現となったのである。
そして、「低減化の継続」などを含めた勧告すら行われたのである。