9 これからの毒性学
最近、E.Menegola (ミラノ大学)らによって、Valproic acid (バルプロ酸)、 Trichostantin A (トリコスタチンA) 、Boric acid(ホウ酸)、MS-275、Sodium Butyrate(酪酸ナトリウム)、さらに Sodium Salicylate(サリチル酸ナトリウム)などよく知られている催奇形性の発現機構が、胎児の体節細胞や心臓原基における ヒストン(注1)の脱アセチル化酵素を阻害することによる高アセチル化によることが示されました (11)。
すなわち、さまざまな形態異常の誘発などの催奇形性も「環境エピゲノム異常」によることが示されつつあります。
現在では、化学物質による催奇形性、心奇形、行動奇形など、これまでは「生殖毒性試験」として実施されてきた、多くの毒性も「環境エピゲノム異常」によって誘発されているという点についての解明が進められています。
また、これらの試験においては「陰性データ:negative data」を含めて膨大な実験結果がありますので、これらを「環境エピゲノム異常」の立場から再検討することも重要であると考えられます。
日本の生殖・発生毒性学の分野では、すでに長尾哲二・藤川和男(近畿大学)による、「雄処理による経世代奇形の伝達」に関するすぐれた研究業績があります(13)。
彼らのデータでは既知の変異原性物質によって、雄由来の経世代奇形が突然変異と同様の時期特異性(注)をもって誘発され、その頻度は誘発突然変異率に比べて、二桁程度も高いものでした。
この現象も「環境エピゲノム異常」によるものと解釈すれば納得でき、現在その解明が進められています。
これらの結果に関連しては、野村大成(大阪大学)の先駆的な成果があります(14)。
彼は放射線やウレタンによるマウスの「高発がん性の遺伝」を詳細に解析しました。
その結果、それまで得られていた突然変異の誘発と、生殖細胞の時期特異性が一致するとともに、それらの頻度は、やはり二桁程度高いものでした。
これらの現象も、現在では「環境エピゲノム異常」によると考えれば説明可能だと考えられます。
これらについての「環境エピゲノミクス」によるメカニズムの解析が望まれています。
これらの研究成果は、「毒性学」全体にも大きな影響を与えることは間違いありません。
ヒトおよび実験動物においても、生殖細胞形成、受精から発生過程、さらに幼児期での化学物質の曝露や育児状態などが「環境エピゲノム異常」によって、その後の成体の健康状態に大きな影響を与える可能性が示唆されつつあるのです。
「発がん試験」においては、胎児期投与による「経胎盤発がん実験」が成体を用いるよりも感度が高い例が知られています。
また「免疫毒性試験」においても、胎児期に投与した動物での感受性が高い例が知られています。
生殖細胞形成期、胎児期および新生児期における「環境エピゲノミクス」の問題は、これからの 「毒性学」 において、これまで以上に重要な問題となる可能性があります。