●業界・行政 法の網の見直しなど必要
生ごみ処理などに関係する業界、自治体関係者から、現状の課題が指摘された。
「私の畜産会社でも、二十数年前から食品残さを家畜飼料にしている。
一日当たり、おから二トンを含む計四トンを利用している。
畜産農家が家畜飼料として食品残さを回収するには、産業廃棄物の収集運搬業の許可が必要で、堆肥(たいひ)にするには中間処理業の許可も必要。
循環型社会の構築がいわれる中、法の網も少し見直してほしい」(北九州市若松区・男性)
「地元自治体からなる環境組合の汚泥再生処理センターで、生ごみを毎月約百トン集めて堆肥化している。資源循環のシステムづくりは採算を考えなくてはならず、大変難しい。
財政が厳しくなると、背に腹は代えられない状況になる。行政側として考え方を整理し直したい」(長崎県平戸市・環境組合職員)
●循環 「もったいない意識」大切
食べ物を大切にし、生ごみやし尿は資源として循環させていた、かつての日本。そのシステムを再認識する声もあった。
「わが家ではスイカを食べ終わると、皮を塩漬けにし、おやつにした。残りの薄皮と種は、ニワトリの餌にしていた。ニワトリ小屋にはもみ殻を敷き詰めておき、一カ月に一回取り換えて肥料にした。スイカはすべて生かされ、捨てる部分がなかった」(福岡県立花町・男性)
「私は農家の二男で、いろんな所を回ってし尿のくみ取りをしていたが、当時、し尿をもらう方が代金に野菜を渡していた。今は、し尿処理にお金を払っている。昭和三十五年ごろまでは、生ごみは一度釜で熱し、家畜の餌にしていた」(長崎県波佐見町・男性・64歳)
「祖母は残ったご飯粒にお茶をかけ、煮魚はお湯を足してお吸い物にし、『もったいない』と、おいしそうに食べていた。食べ物を大切にする祖母を見て教わったことが身に付き、今も食べ物を腐らせたり、捨てたりすることができない。『もったいない』。美しい日本語だが、食べ物を粗末にする国に、明るい未来はあるのだろうか」(女性・44歳)
「二十年前、曾祖母は下肥で作った野菜を食べていた。汚いと感じたが、トマトの皮は厚く、甘かった。(記事を読み)幼いころから、食べ物循環を教えるべきだと感じた。先祖が生きるために、また、地球のことを考えて食してきた生活を見直すのも大切。わが子は物がなくなると『買ってくれば』と言う。これではダメだ」(女性)