・「出典」西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/shoku/rensai/
・食卓の向こう側・第7部 生ごみは問う<1>
プロローグ 4千万人分の食 無駄に
共働きの夫婦のごみ袋に入れられた生ごみ。
キャベツや豚肉ブロックは手付かずのままだ
●「もったいないけど・・・」
手付かずのまま、切り口が黒ずんできたキャベツ半玉。
角煮を作るのが面倒になり、一年前から冷凍庫に入れっぱなしだった四百十八グラムの豚肉ブロック。
正月明けの特価で買って使い切らなかったスルメイカ二杯。みそ汁の具材にした残りの大根三分の二、エノキ半パック。
有名店のマフィン一個、アスパラ、ギョーザの皮、休日に作ったポテトサラダの残り…。
ごみ出し日の月曜夜。福岡市中央区の自宅に、共働きの妻(28)より早く帰った夫(28)は、ごみ袋に冷蔵庫周辺の食材を放り込んでいった。
平日の昼・夜は、外食がほとんどという二人暮らし。
朝はみそ汁を作るが、「同じ具材を続けたくないから、大根なんかがよく残る」と妻。
夫は休日に料理をするものの、「余った食材を見て献立を決められないから、レシピ通りに野菜や肉を買い直す」。
こうして使い残した食材を、ごみ出しのたびに「生ごみ」へ変えてしまっている。
もらったまま食べきれず、一部が腐り始めたミカン五キロをごみ袋に流し込み、この日の「掃除」は完了した。
村びと100人のうち(中略)41人は、1年を8万円以下で暮らし、ときどきしかたべられません。(マガジンハウス刊「世界がもし100人の村だったら(3)たべもの編」より)
もちろん、食べ物を捨てることはもったいないと分かっている。
でも、食費に困っているわけじゃないから、やっぱり新鮮なものを食べたい。
「食品への対価は払ったんだから、捨てても許されるんじゃないかな」。そんなふうに罪悪感を紛らわせている。
ブランド牛のステーキ、オマールエビ、フォアグラにキャビア、ワイン、ケーキ…。
さっきまでの「ごちそう」が、割りばしやアルミホイルと一緒くたに特大ポリ袋に投げ込まれ、「ごみ」の山になっていく。
「はしを付けていないものも多いけど、特に『どんでん』の日は忙しくて、もったいないとか振り返る間もない」。
福岡市の大手ホテルスタッフだった女性は、そう語る。
どんでんとは、披露宴が続く婚礼会場のセッティングを、大急ぎで変えること。
舞台裏の隠語だ。
一組の披露宴が終わると、二十人ほどのアルバイトが汗だくになって会場を走り回り、百人から二百人分もの食べ残しを片付ける。
少しでも手足の動きを止めると、監視役の社員から怒声が飛ぶ。
そんな作業が、多いときで一日に二十組もあった。
1キロの牛肉をつくるには20トンの水がいります。
(中略)いっぽうで16人の村びとは料理につかうきれいな水がありません。(同)
ホテルは食べ残しを見越して料金設定するから、痛くはない。だが、世界各地から集められた食材は、日々の食べ物や水に不自由している家族と隣り合わせで、ぜいを尽くして作られたものかもしれない。
大量の重油やガソリンを使って、地球の裏側から運ばれたものかもしれない。
残食の堆(たい)肥(ひ)化を始めたホテルもある。
だが、「だから、食べ残しても大丈夫」という免罪符を与えてしまえば、世界の「命」を日本人が無駄にむさぼる構図は変わらない。
「難しい問題ですよね…」。一生に一度のもてなしの席ぐらい豪勢にしたいだろう。
高級感が期待されるホテルとしても、けちくさい対応はできない。
走り続ける社会にいては、「どうしようもない」というほか答えが見えない。