・アサヒ、コムより
.【放送】なぜ、マスメディアは「脱原発」と言えないのか?2011年5月10日
福島第一原発事故の直後、私はアメリカのメディアにかかわる知人から、「なぜ日本人は二度も原爆を受けながら、アメリカからもらった原発技術で日本列島を覆ってしまったのか」と問われた。
私は即座に「死の灰」を浴びたことと深い関係があると答えた。
1954年、日本漁船・第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験に遭遇。
乗組員23人が被曝し、うち1人が死亡した。
同年、水爆で生まれた怪獣が暴れ回る映画「ゴジラ」が制作された。
全国に原水爆禁止運動と反米感情が巻き起こると、アメリカは原子力の平和利用を掲げて、57年、東海村に「原子の火」を“贈与”。63年には原子力で動く正義のロボットが活躍する「鉄腕アトム」がアニメ化された。
これ以降、日本の子どもの中に「ゴジラ=原爆・戦争」と「鉄腕アトム=原発・平和」が同居するようになった。
こうした心象を、評論家加藤周一は、「比喩的に言えば、原子爆弾とは制御機構の故障した(原子力)発電所のようなものである」(99年10月20日付朝日新聞夕刊「夕陽妄語」)と評し、原爆=戦争、原発=平和という意味では遠いが、核分裂の連鎖反応という意味では極めて近い「遠くて近きもの」と位置づけ、「東海村に事故がおこれば、『ヒロシマ』を思い出すのが当然であろう」と指摘した。
その東海村JCO臨界事故に続いて、福島第一原発で「レベル7」の惨事が起きたのだ。
しかし、マスメディアは、パニックの第一発生源にはなりたくないのか放射能の値を示すときには判で押したように「ただちに人体に影響が出る数値ではない」とつけ加える。
しかし、全電源喪失で、原発本体の危機的状況が延々と続き、「安心情報」に耳を傾ける者はほとんどいなくなった。
ことに、高濃度の放射性物質を含んだ水で作業員が被曝し、大気中の放射線量の上昇、周辺の農作物や土壌、水質の放射能汚染が拡がり、炉心から出たとされる放射性物質を含む水が大量に海に漏出するに及んで、人々の不安と怒りはピークに達した。
テレビからは、派手なコマーシャルが消え、タレント、スポーツ選手の「日本は一つ」、「がんばれニッポン」の掛け声が日増しに大きくなってきた。
こういう善意のオンパレードには注意を要する。
「助けて」と叫ぶ人に「がんばれ」と言う。
これは残酷なことではないのか。
しかも、ドサクサまぎれの「がんばれニッポン」は、戦時中の「一億一心」を連想させる。
海外の目はもっとシビアである。この難局を乗り越え、地震列島にもっと原発を作ろうという国に、「がんばれニッポン」と応援する国はめっきり減っている。