●メディアは仲介に目覚めるか
悲惨なのは、30キロ圏で屋内退避させられた住民たちだ。
圏内の市町村長からは、「国の責任において」避難指示が出されることを望む悲鳴のような声が上がったが、それへの政府の対応は「自主的な移転を求める」という冷淡なものだった。
将来の責任追及に対する予防線ではないのかとの疑念を抱かせる。
そうしたなか注目すべき番組があった。
NHK教育テレビのETV特集(4月3日)は、評論家吉岡忍氏が、原発から27キロの浪江町赤宇木の集会所で屋内退避指示のまま身動きならない人々を取材し、あわせて三春町の住職で芥川賞作家の玄侑宗久氏と原発災害について語りあった。
この番組は、高レベルの放射能の中に剥き出しのまま放置された人々がそこを出て避難するまでを記録した。
原発事故が地域社会を根こそぎにし、原発と人間の間には共通するスケールがないことを明らかにした。
安全情報ばかりを流すニュースとは、取材思想が根本的に違っている。
教育テレビの健闘をもう一つ。
「福祉ネットワーク」は、時折、教育波から総合波に切り替え、被災地の障害者施設と結び、生放送を継続した。
評論家の内橋克人氏は、こうしたときこそ、災害弱者を基本にすえて日本社会再生の方向をつかんでほしいと訴えた。
この発言の先には、原発依存の社会を根本的に問い直す、「脱原発」社会が見通されている。
事態が刻々悪化するなかで、メディアが自らの機能を、被災住民と行政の「仲介」に差し向けた例である。
仲介は、英語でまさにメディアである。
福島第一原発の事故は海外に大きな衝撃を与えている。
ドイツでは大規模なデモが起こり、脱原発を掲げる「緑の党」の支持者が増加している。
それにしても、全国に点在する国内の原発所在地で連日のように電力会社に対する抗議行動が起こっているが、それらを紹介するニュースがほとんどないのはなぜだろう。
例えば、3月27日の午後から夜にかけて、東京・銀座で東電本店に対するデモが行われ、主催者発表で1000人以上が参加し、口々に「脱原発」を訴えた。しかし、取り上げたメディアは少なかった。ただ、海外メディアが報じたことをニュースにした程度だった。
NHKは「海外ネットワーク」で、日本の原発事故に対する米独の反応を自前の取材で伝えた。
アメリカの原発に隣接する住民の不安や、ドイツの脱原発の決断など日本でこそ考えなければならない内容だ。
順番が逆でも国内メディアは、社会的な動きとして「脱原発」の動きを取材せざるをえないところに来ている。
それでも取材しないとなれば、「脱原発」を言い出せないよほどの事情があると疑われても仕方がない。
目前の危機に対処しているときに、先のことを考えるのは不謹慎だという理屈は、放射能災害に関しては通用しない。
日本のマスメディアは、今こそ、各地の「脱原発」の動きを積極的に紹介し、政府が現下の危機を克服する後押しの役割を果たす時である。(「ジャーナリズム」11年5月号掲載)
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桜井 均(さくらい・ひとし)
runより:少々過激な描写がありますが、私も疑問に思った事であります。
原発をどうするか?という議論はよく見ます。
しかし、原発以外でどうするか?という議論はほとんど聞いてない。
ここに疑問を感じる。