・感染経路
感染は、未治療のらい菌保有者(特に菌を大量に排出する多菌型、LL型患者)の鼻汁や組織浸出液が感染源となり、経鼻・経気道的におこるというルートが主流となっている。
ヌードマウスに菌のスプレーを与えた動物実験により確認された。
別名、飛沫感染(droplet infection)ともいう。
また、経鼻・経気道感染とは別に接触感染のルートも存在する。
傷のある皮膚(abraded skin)経由説と呼ばれ、刺青部や外傷部に癩の病巣ができる例より証明されている。
1884年にアーニング(Dr.Eduard Arning,細菌学者ナイセルDr.Albert Neisserの弟子)が、ハワイ王国でキーヌー(Keanu)という死刑囚に癩腫を右前腕に移植するという人体実験の成功でも証明された。
その他、前述した昆虫からのベクター感染のルートの検討もあるが、否定的な意見も多く証明されていない。
伝染力
菌を大量に排出するハンセン病患者(特にLL型)と接触したからといって、高頻度に感染が成立するわけではない。
濃密な感染環境下に置かれたりするなどの特殊な条件が必要であり、伝染力は非常に低い。
らい菌と接触する人の95%は自然免疫で感染・発症を防御できることが要因である。
感染時期は小児が多く、大人から大人への感染発病は極めてまれである。
患者から医療関係者への伝染に関しては、「医療関係者に伝染発病した事実はない」と一般的に言われている。
ただし、流行地で幼児期を過ごした人であれば発病する可能性が0でないこと、実際に患者に接触して感染した医師や神父(例としてダミアン神父)もいることを考慮する必要がある。
潜伏期間
感染してから発症するまでの潜伏期間は長く、3-5年とされている。
ただし、10年におよぶ例、現在の日本では数十年に及ぶ例もある。
らい菌発見の経緯
1869年、ノルウェーのアルマウェル・ハンセンはハンセン病患者の癩結節の中に大きな塊状のものがあることを顕微鏡で発見し、1873年2月28日に細菌によく似た小さな桿状の物体を発見した。
1873年オスロで「眼の癩性疾患」と題した発表の中でハンセンが癩菌をスケッチした図を残した。
ただし当時は染色法もなく、らい菌の形態を正確に描いたものではなかった。
その後、1874年に「癩の発生原因について」の講演(オスロのクリスチャニア医学会)とノルウェーの医学雑誌上での発表を行なった。
1875年に英国の医学雑誌へ再掲載し、英文ではじめて発表を行った。
1879年、ドイツの細菌学者であるアルベルト・ナイサーは、ハンセンから標本を分与されたらい菌の染色に成功し、らい菌の正確な形態を明らかにした。
追随してハンセンも1880年に発表を行った。
ちなみに、らい菌を最初にスケッチしたハンセンと、最初に染色に成功してらい菌の形態を明らかにしたナイサーは、「らい菌の発見者」であると共に主張し論争が起こった。
その後、ハンセンがらい菌を1873年に発見したということで決着した。