・日本の古い呼称
奈良時代に成立した『日本書紀』、「令義解」には、それぞれ「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」という言葉が出ており、現在のハンセン病ではないか、とも言われている。
ただしハンセン病以外の皮膚病を含んでいる可能性もある。
鎌倉時代になると、漢語由来の「癩」(らい)・「癩病」・「らい病」が使われるようになった。
江戸時代になると大和言葉|やまとことばで、乞食を意味する「かったい(かたい)」という言葉も使用されるようになった。
この言葉は、一般には江戸時代まで使われたが、地域によっては第二次世界大戦後まで使用されたところもあった。
そのほか、方言として「ドス」・「ナリ」・「クサレ」・「ヤブ」・「クンキャ」などの蔑称も使用された。
昭和時代に入ると、ドイツ語またはラテン語である「lepra(レプラ)」の言い換え語として、カタカナ表記のレプラ という言葉も使用された。
漢字で当てると「例布羅」となる。
「レプラ」は島木健作や織田作之助の作品などに散見される。
また、日本癩学会(現:日本ハンセン病学会)が発行する機関誌名にも使用された。
Hansen's disease(ハンセン病)への動き
1873年にアルマウェル・ハンセンが、らい菌を発見してハンセン病の原因が明確になった。
これにより、前述したように忌まわしい印象を持つ癩(らい)病(leprosy)の語を避けることと、以前は原因不明であったために恐れられていた病気のイメージを払拭するために、「leprosy」を「Hansen's disease(HD)」 という名称に変えようという運動が起こった。
1931年のマニラの国際会議における発言をきっかけとして、その後、米国のカーヴィル療養所入所者が発行しているThe Star誌(1941年創刊)を中心に行われた。
1946年、スタンレー・スタインが、らい諮問委員会に提言したが成らず、結局、アメリカ医学会(AMA)が「leprosy」を「Hansen's disease」に変更した1952年に、改名が実現した。
日本でも、療養所に入所している人を中心に、「癩病」から「ハンゼン氏病」(Hansen's disease)への名称変更の動きが現れた。
「ハンゼン氏病」と濁った表記になっているのは、ドイツ語訳の影響である。
2月1日に、「全国国立癩療養所患者協議会」(全癩患協)を「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会」(全患協)と改称し、「癩」という言葉を消すことに成功した。
しかし、厚生省はその後も、「癩」を平仮名の「らい」に変更するのみにとどまり、学会名も「日本らい学会」と呼ばれ「らい」が使用され続けた。
一方、大阪皮膚病研究会(ハンセン病のみの研究所、1929年 - 2003年)や、スキンクリニック(那覇や宮古島のハンセン病外来施設)などでは、「らい病」の使用は避けられた。
、全患協はドイツ語読みから、より一般的な英語読みにするため「ハンゼン氏病」から「ハンセン氏病」へ改称し、さらにには、習慣の変化から「氏」をなくして「ハンセン病」へと改称した。
そして、のらい予防法廃止後は、官民ともに「ハンセン病」が正式な用語となり、「日本らい学会」も「日本ハンセン病学会」に改称した。
東洋医学では、元来、大風(麻風)や癘風(れいふう)とも呼ばれていたが、漢生(アルマウェル・ハンセン)の名を取って「漢生病」とも一般的に呼ばれるようになった。
2008年には、台湾でも「漢生病」という呼称が法的に決定された。