・ちょうせい第64号(H23.2)より
公害等調整委員会委員長 大内 捷司
Ⅰ 公害紛争処理制度の今後の課題
1 公害紛争処理制度の意義
1)我が国では、戦後における経済の高度成長の中で、工場等からの有害排出物等が増大し、各地に大気汚染、水質汚濁等の環境悪化が深刻化し、昭和40年代には公害問題が大きな社会問題化した。
この時期、熊本水俣病、新潟水俣病、富山イタイイタイ病、四日市ぜん息などの公害被害の救済を求めて4大公害訴訟が提起され、最終的には被害者側がいずれも勝訴したものの、原因の解明に長い時間がかかり、そのための費用負担も莫大なものとなって、公害被害者の救済の在り方が一つの社会問題にもなった。
こうした中で、昭和45年のいわゆる公害国会で、公害紛争処理法が成立し、新しい裁判外の紛争解決手続(ADR)として公害紛争処理制度が発足した。
この時に、国に重大事件や広域事件を担当する中央公害審査委員会が設置され、都道府県に公害審査会が置かれた。
そして、制度の更なる充実を求める世論に押されて、昭和47年7月、中央公害審査委員会を改組し、国の機関として公害等調整委員会(以下「公調委」という。)が設けられ、併せて裁判に準じた「裁定」の手続が導入された。
このようにして、中央において裁定・調停・仲裁・あっせんを行う公調委が、都道府県において調停・仲裁・あっせんを行う公害審査会等が、それぞれ公害紛争処理を担う準司法機関として整備された。
なお、公調委は、調停・仲裁・あっせんについては重大事件や広域事件のみを扱うが、裁定については、規模の大小を問わず、全国すべての地域の事件を扱っている。