四日市ぜんそく4 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・硫黄酸化物や窒素酸化物などの汚染された大気を吸って窒息障害になり多くの市民が死亡した。

当時は四日市市民が(約20万人)いたが、その内塩浜地区を中心に3%(3パーセント)約5000人の市民が公害患者と全員が認定されなかったが、軽度から重度の喘息症状に発症していた。

その内(2216人)が四日市ぜんそくの公害患者と認定された。公害認定患者は9歳以下の子供たちが4割(40パーセント)近くであり、患者は男性の方が多くて、男性では(44パーセント)以上が9歳以下の子供で、19歳未満では過半数を超えた。

女性患者も子供たちが最多で、30歳から40歳中年女性が、全体の(25パーセント)の四分の一を占めた。

入院を必要とする重病患者の33パーセントの三分の一が塩浜地区内の(磯津町民)で認定患者の4割(40パーセント)が塩浜地区民であった。

公害死亡者数については、子供や若い年代の患者の場合は公害で死亡した可能性が高く、公害死亡者として断定できるが、四日市ぜんそくは高齢者の患者が多数であったため、死亡原因が老化によって喘息以外の病気で死亡した可能性があるため因果関係が難しい事情がある。

(約600人)が公害によって死亡したとする説が有力であり、自殺者と公害裁判後の病死者を含めて(約900人)が四日市喘息の慰霊碑に公害病の死者とされている。

患者は10代の子供と、50代・60代の中高年が多かった。

(むかつきの症状・嘔吐の症状・頭痛の症状・気管支炎・肺がん)が増加するなどの症状で塩浜地区の平均寿命が低下する健康問題がおきた。

これらの死亡記事が四日市市民の怒りになり訴訟のきっかけとなる。

塩浜地区では公害による生活環境悪化から逃れるためある一部の町である雨池町と平和町の住民が四日市西部の鈴鹿山脈側に集団移転で引っ越してゴーストタウンの様に消滅した町もあった。

公害が拡がったのは、第1コンビナートの工業地帯と塩浜の住宅地の住宅地と工業地の混合地域であり、近隣に混在していたのが公害を悪化させた原因である。

三浜小学校児童会の会長であった6年生男子が佐藤栄作総理大臣に手紙を書き、「夏に公害対策として窓の閉鎖が行われて暑さから授業ができずクーラーを設置してほしい」と救援(sos)の手紙を書いた。

公害汚染がひどかった塩浜小学校と三浜小学校と納屋小学校と東橋北小学校の4つの小学校は、公害被害で住民が引っ越した事で児童数が急減少して、塩浜小学校と三浜小学校は統合計画が成立して、納屋小学校は中部東小学校と統合されて中央小学校となり、東橋北小学校は西橋北小学校と統合計画が進んでいる。