四日市ぜんそく2 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・ 四大公害病の比較 [編集]市民から経済発展が期待されていたが、工場が稼働を開始してからほどなくして街の空は曇り始め、四日市市への悪臭や異臭の苦情が殺到した事から始まり、その後市内のぜんそく患者が急増した。

この当時は公害への認識がなかったうえに、他の水俣病とイタイイタイ病と新潟水俣病との違いは、経済の発展を優先していたため行政機関である三重県と四日市市が企業に加担していて公害裁判で行政の責任も問われた事が特徴である。

当時の三重県知事と四日市市長など政治家の関与があり文系出身の政治家であったので、経済的には三重県の1人当たりのGDPを平成18年(2006年)時点の統計では、各都道府県別の順位で(1位)東京都(2位)愛知県(3位)静岡県(4位)神奈川県に次いで三重県が上位の5位となっており、三重県は田中覚が知事だった高度経済成長期には、四日市市がコンビナートの誘致による石油化学産業の発展と鈴鹿市の自動車産業の発展で、経済成長率が平均13%となる脅威の経済成長をした。

特に四日市市周辺の北勢地域のみではGDPを東京都と愛知県に次ぐまでの経済発展させた功績がある。

理系の石油化学関係の知識がなくて大日本帝国期(戦前)の伝統的企業である東洋紡績や東亜紡織(トーア紡コーポレーション)と同じように地域貢献をして、環境保全をすると考えていたため、平田紡績出身の平田佐矩市長はまさか企業が汚染物質を排出するとは思っていなかった事が原因である。

四大公害と言われた公害病の内では、四日市ぜんそく(喘息)だけが水質汚染ではなくて、唯一の大気汚染であり、公害被害によって居住する事が困難になって四日市の地域環境が悪化した事。

高度経済成長の経済発展の代償として公害が発生したことである。

そのため、対策が施されることもなく、汚染物質がそのまま排出されていた。