・柳沢 パネリストの皆さんそれぞれの専門領域からお話いただきました。
これからは時間の許す限りいくつかのテーマに絞って、議論を深めていきたいと思います。
一つは、こういう化学物質過敏症患者避難用の住宅ができ、そこに来ることになる患者さんのことを中心に議論が進んできたわけですが、ではそれが旭川に立地した、そして旭川を取り巻く2市8町というたいへん交流が深められている地域がある。
その地域に対して、今回6ユニット(6つの部屋)しかない。小さな一歩だけれどもこれは非常に大きな一歩でもあるわけです。
それがこの地域に対してどういう波及効果があるか、どういう影響を与えていくのか、それについて考えてみたいと思います。
私がいつも思いますのは、日本語というのは非常に良い言葉だということです。
研ぎ澄まされた感覚があります。
「過敏症」もその一つだと思います。
化学物質に対する感覚が非常に鋭く出ています。
ですからそういう人たちを「過敏症」というわけですけれども、「過敏」という言葉をちょっと違う言葉で表現してみますと、「鋭敏」という言葉があります。
鋭敏というと非常にイメージが良くなります。例えば絶対音感を持っている人たち。
ピアノをポンと叩くと、それがどの音かがすぐわかります。
あるいはソムリエという人たちがいますが、ワインを飲むとパッと味がわかります。
日本風に言えば「効き酒」です。
そういう非常に研ぎ澄まされた感覚、鋭敏な感覚を持っている人たちが、われわれの社会に喜びを与えてくれているわけです。
音楽家もいます。作家もいます。画家もいます。
それと同じように、化学物質に対して非常に感覚の鋭い人たち、今われわれは過敏症と呼びましたが、化学物質に対して非常に鋭敏な人たちがこの旭川に来るんです。それによってこの旭川の地域の環境を含めて、私はたいへん良い影響があるのではないかと思います。
その辺の視点から、何かご発言をいただけると有り難いんですが……。
山口 私が発行しているバイオ・リージョンという雑誌を読んでいらっしゃる方がいましたらちょっと手を挙げてくださいませんか。(挙手を確認し)有難うございました。
この情報誌は国際的にも国内的にも、生命地域主義の原点についての新しい情報を発信しております。
私は昭和40年代にある自動車メーカーに「実験研究をするなら北海道がいちばんいい」と申しました。
そして今、日本を代表する自動車メーカーは皆、北海道で実験するようになりました。
このたび旭川で化学物質過敏症の共同研究が始められたのは、旭川にとっても北海道にとっても最高の場所を選んだと思わなければなりません。
というのは、私は1990年から国際共同研究を始めておりますが、縁があってハーバード大学やブリティッシュ・コロンビア大学、モンタナ大学と共同研究を行っている中で、ハーバード大学に行っておられた柳沢先生と出会いました。
それが化学物質過敏症の研究につながったわけです。
10年間の中でなるべくしてなった共同研究なのです。私が北米の方々に提案したのは、「実験研究は北海道でやりましょう」ということでした。
その理由は「北海道は日本列島の中でいちばん北にある雪の多い寒い国、つまり北国・雪国・寒い国だからです」と説明しました。冬になると大変なんだ。
室内にいちばん長くいる主婦と子供と老人に、化学物質過敏症が発生しやすい場所でもあるから、研究のためにはいちばん良いデータが得られるところだともつけ加えました。
すぐ賛同が得られまして、今から5年前、札幌を中心にハーバード大学の先生方、柳沢先生、北里研究所の石川先生方と実験を進めておりました。
かなりのデータ蓄積ができていたところに、このたびの旭川の共同研究につながったのです。世界初の産・学・官の共同研究をこの旭川でやれますことに、私はたいへん意義を感じております。
北海道は日本全体の約4.5パーセントの人口。22パーセントの面積。
日本全体にはほとんど影響しないような経済効果。国の予算を持ってくることもなかなか難しいことです。
いろいろな問題が出てくると思います。しかし日本全体を考えても北海道でやるべきことです。この旭川でやるべきなのです。
関係する皆さん同じ気持ちだと思いますが、焦らず、休まず、諦めずにこつこつと、根強く研究を進めていきたいと思います。
皆さんもぜひ応援してください。(拍手)