・柳沢 旭川医科大学のたいへん積極的な取り組みが話され、心強く思いました。
その中で特に医療を取り巻く回りの条件、たとえばクリーンルームの話であるとか、地域全体の環境の問題などへの期待についても述べられました。
そこでそういう自治体が果たす役割は非常に大きいわけですが、『健康の郷・大雪』構想で明らかなように、これまでも積極的な取り組みを続けてきた、旭川市企画部の小池審議員からこれまでの取り組み、そして今後の構想等についてお語を伺いたいと思います。
小池 これはかなり古くからの構想でして、昭和62年の国の総合計画、いわゆる四全総の発表を受けて、旭川市として医療基地構想を策定しようとしたものでございます。
当時はバブル期でもありましたことから、リゾート開発のイメージも少なからず持ちながら、一つには21世紀に向けての医科学の拠点的なものを整備していこう。
もう一つは本格的な健康リゾート拠点を整備していこう。
そして三つ目は人と環境にやさしい産業機能を整備していこうという三本柱を持って取り組みを進めてきたわけです。
ところがバブルがはじけ、民間資本の活用が事実上むずかしくなりました。そういうことがあって構想実現にあたっての見直しが行われ、それと同時に、北海道の長期総合計画が平成9年度に策定されたわけですが、その中に地域圏域ごとにパートナーシッププロジェクトを持とうということが盛り込まれており、旭川市を含む圏域というのは芦別、美瑛、東神楽、東川、当麻、愛別、上川、鷹栖町など2市8町がパートナーシッププロジェクトの圏域ということになりました。
このプロジェクトの中で、旭央ネオポリス交流圏構想というものを持つことになりました。
この構想の中身は、一つには健康保養拠点の形成を図ろうということがありました。もう一つは文化交流拠点の交流を図ることでした。
そうなりますと、健康保養拠点の形成そのものは、旭川市が昭和62年からもっていた医療基地構想の概念と全く重なるわけです。
従って旭川市独自で医療基地構想を推進するのではなく、パートナーシッププロジェクトの一部門を担う重要な位置づけを持つ構想として衣替えしたものです。
種々論議をしながら、今日の『健康の郷・大雪』とネーミングを変え、2市8町の広域で取り組んでいるわけです。
これがこれまでの流れでございます。
このパートナーシッププロジェクトを推進する議論の中で、もう一つ柱を増やしました。
それは包括的な健康管理機能をこの圏域で持とうということで、4本柱になりました。
旭川市に限らず、地域のこういう計画あるいはプロジェクトは、ある意味でハード整備を中心にしながら地域の振興を前面に押し出すのに対して、この『健康の郷・大雪』というのは、臨床環境医学というものを取り入れるという、きわめて先駆的な取り組みであったと思います。
環境に起因する疾病についても、21世紀の医科学の拠点機能の中で考えていこうということになって、今日のシックハウス、化学物質過敏症についても積極的にかかわっていく判断に立ったわけです。
私どもとすれば、今日の環境問題を先取りした計画そして構想として評価していただければ幸いとも考えているところです。
先程申し上げた4本注については、平成10年度以降、具体的な事業展開をするということで取り組みを続けてまいりました。
さき程石川先生も言っておられましたが、旭川にも臨床環境医学センターというものを持とう、こういうものが機能としてあるべきではないかということで、この機能の調査も致しました。
私も北里大学のクリーンルームに一度入所させていただきました。
着ているものを全部そこのユニホームに着替えるという厳密な管理が行われていました。
入った時はまったく何も感じませんでした。
「これがクリーンルームなんですか」という気持ちでしたが、出てから驚きました。
普段われわれが吸っている空気がいかにカビくさいか。
いかに雑多な匂いが混ざった空気であるかが、一目瞭然にわかりました。
私の鼻ですら感じられたわけです。
そんなクリーンルームでした。
このクリーンルームを旭川にも機能として持とう。
ということは、クリーンルーム自身は暴露検査の中で、特定の反応すべき化学物質を拾い出していくということになるんでしょうが、問題はそういう化学物質を特定し、転地療養するとどの程度患者さんの数値が変わるのであろうか。
改善された症状と化学物質の関係はどうなっているのかということが科学的に解明されなければ、単に旭川市は、この周辺はいい環境だと言ったとしても、あくまでも主観の範囲になってしまうのではないか。
そういう意味からも科学的なデータによって実証していく意味からも、旭川にクリーンルームの機能が必要ではないかという意味で、この機能調査をさせていただいたのが平成10年でした。新しい建物はある意味ではだめだということなのですが、既存資源としてはどういうものがあるか。
そういうものとの連携を通じて、滞在が可能であるかどうか。
それも平成10年から調査してまいりました。
国土庁から地域活性化施策推進費のモデル指定していただいたこともございまして、石川哲先生のご協力を得ながら、シンポジウムの開催も実現できたのでございます。
平成11年度には、旭川版臨床環境医学センターの設置の可能性でありますとか、運営手法の検討をしながら同時に、先程来申し上げているような考え方で、旭川市にそういった機能を持たせていただけないかということで、厚生省などにも要請に出向いているわけです。
残念ながら厚生省からは色良い返事が得られなかったということでありますが、先程吉田先生が言われておりますように、国立相模原病院に新たに設置されましたように、臨床環境医学センターが全国展開されるというような動きが出てきておりますので、多少息の長い取り組みになろうかと思いますが、関係省庁への要請なども引き続きやっていく必要があると考えております。
さらに11年度には化学物質過敏症に関る研究者や患者及び団体等が集まって屋外フォーラムも開催させていただきました。
先程来、斎藤牧場の環境の良さがお話されておりますが、屋外フォーラムも斎藤牧場の敷地の中で実施させていただきました。この時、実験的に転地療養してみたいということで、旭川にこられていたのが、山田綾子さんでした。
私自身は、山田さんが飛行機から降りて斎藤牧場へ来られるまでの過程は見ていないのですが、その時は自立歩行もできない、車椅子でしか移動もできないほど体力的にも弱っていたと聞いております。
野外フォーラムの時もとても人込みに入ることはできないという状況であり、常に風上の方にいてほかの人たちの影響を受けないようにされているということでした。
しかし今体力は次第に回復されて、スキーもできるようになったということをご本人から聞いております。
そういう意味では転地療養の有効性を改めて感じております。
平成12年度には化学物質過敏症の患者さん用の住宅の実現が最大の事業でした。
行政としては一銭もお金を使わないで、冬総研の皆様方のあたたかいご支援で建物がつくられました。
感謝の気持ちでいっぱいでございます。
この建物を拠点にして、転地療養に関する医科学的なデータをしっかり蓄積しながら、さまざまな分野にこれを活用していくことが、今後求められていることでございます。
建物だけではなく、家具であるとか衣類であるとか、食物であるとかそういうものも直接かかわってくるわけですから、そういうことも研究の対象になるわけでございます。
先程旭川医大の中にもシックハウス検討委員会が設置されたとのお話がございましたが、旭川医師会の中にもシックハウス懇話会、さらには道立保健所、旭川市立保健所の中にはシックハウスの相談体制がつくられようとしています。
今後の展開としては先程来申し上げている臨床環境医学センターの機能というものをなんとか旭川に持ってこられないかという立場で、引き続き運動したいということがございますし、患者用住宅ができたわけですから、その受け入れのためにNPOの方とも充分連携をとりながら、転地療養の実施を実効あるものにしたいということがございます。
さらにこのシックハウス症候群の方、化学物質過敏症の方というのは、全人口の10パーセントくらいいると言われており、誰にでも起こり得る病気です。
ほんの例外の方ではないという方もいます。
しかしそれにしても、この患者用住宅が、日本全国でただの一棟で、しかも6室ということでは余りにも不十分だということになろうかと思います。
この患者用住宅と同じノウハウを持った施設が、日本全体にもっとつくられていかなければなりませんし、あるいはこの良い環境のもとで、転地療養をしていただくとすれば、そのための場所探しからはじめて、行政としてもさまざまなコーディネート業務が出てくると思います。
そんな思いを強くしながら、旭川市、あるいは旭央ネオポリス交流圏構想の仲間たちと、環境にかかわる問題についてより積極的に取り組んでいきたいと思っております。