・経緯:
PRTRの先駆的なものは、1970年代にオランダで、また80年代に米国で導入されていましたが、その重要性が国際的に広く認められるきっかけになったのは1992(平成4)年に開催された地球サミットであり、ここで採択された「アジェンダ21」や「リオ宣言」の中で、PRTRの位置づけやその背景となる考え方などが示されました。
その後OECDによるPRTRの普及に向けての積極的な取り組みがあり、現在はOECD加盟国を始め、多くの国々がPRTRを実施したり、導入に向けて取り組んだりしています。
日本でも1996(平成8)年よりPRTR導入の検討を開始、中央環境審議会での審議などを経て、1999(平成11)年に法制化されました。
■米国の「有害物質排出目録(TRI)」
1984(昭和59)年にインドのボパールで起こった、化学工場の事故に伴ってメチルイソシアネートという有害物質が大量に大気中に放出されるという事件は、死者2000人以上を数える大惨事になり、国際社会に大きな衝撃を与えました。この工場は米国企業の現地法人でした。
その後1年も経たないうちに、米国ウェストバージニア州の同じ企業の工場で同じような漏洩事故が起こりました。
この連続事故の後に、米国国内では、化学物質がどこでどのくらい使われ、排出されているのかを地域住民は知る必要があるという世論が高まりました。こうした流れの中で1986(昭和61)年に米国で導入された「有害物質排出目録(TRI)」制度が、最初の本格的なPRTR制度と考えられています。
■オランダの「排出目録制度」
ヨーロッパではまた別の動きがありました。
オランダは環境問題に国として積極的に取り組んでいる国として知られていますが、国の環境政策の進捗状況の監視などを行うため、1974(昭和49)年から「排出目録制度」が始まりました。
この制度はその後様々な改善が加えられ、オランダのPRTR制度として発展してきました。