今日は朝からブルックナー三昧、です。Amazon Music Unlimitedで「朝比奈隆 生誕100周年 ブルックナー交響曲全集」の全曲をプレイリストに登録し順番に聴いているのです。
このブルックナー交響曲全集はポニーキャニオンから発売されていた3度目の全集(1992〜95年収録)で、オーケストラは手兵の大阪フィルハーモニー交響楽団です。
(朝比奈隆のブルックナー交響曲全集は、1976年~1978年に大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して録音された所謂“ジァンジァンのブルックナー全集”と呼ばれる物が最初です。(第1番から第9番までの9曲でした。)第2回目の全集は1978年~1989年までの足かけ11年をかけて大阪フィルハーモニー交響楽団 、 東京都交響楽団 、 東京交響楽団 、 日本フィルハーモニー交響楽団 、 新日本フィルハーモニー交響楽団の5つのオーケカトラを使い第0番、第3番アダージョの異稿(アダージョ第2番)を含む11曲が収録されました。ちなみに現在も超名演と呼ばれ続けている交響曲第7番の聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音盤はジャンジャン全集の特典盤として配布されたのが初出でした。)
この(ポニーキャニオンの)全集、第8番と第9番はCDを持っていて時々聴くのですが、その他の録音はほとんど聴いたことがありませんでした。特に第1番や第2番、第6番は曲自体聴く機会が少ない曲です。
この際だから順番に続けて聴いてみようか。
と言うわけで、午前中は第1番から第4番まで。午後は第5番を聴いてから用事があって暫く外出。帰ってきて第6番、それから第7番・・・
本当は第9番までいこうと思ったのですが、さすがにそろそろ限界のようです(笑)
今日はこの辺までにしよう。
感想は、やはり大阪フィルの演奏は良くも悪くも豪快。第1番や第2番では意外に優しい表情や軽さもありなかなか好演です。第5番、第6番も良い演奏でした。
ただ第7番は、聖フローリアンの神がかり的な雰囲気に勝てないのは仕方ないとしても、都響との演奏と比べオーケストラの荒さが少し目立つ感じがします。ティンパニや金管楽器の長いクレッシェンドの豪快さは凄いのですがこの曲に関しては1997年に録音された都響との演奏の方が私は好みです。都響の弦の繊細な美しさは他に代えがたい物がありましたし演奏を聴き終わった時に残る深い余韻も素晴らしい演奏でした。もし演奏会場で聴いたとしたらこの大阪フィルの演奏の方がやった!という感じがあったかも知れません。オーケストラは熱い演奏をしてくれているのだと思います。ただ自宅で聴くにはちょっと荒さが・・・。録音というのはなかなか難しい物です。
さて、明日は第8番と第9番・・・
でも、なんとなくN響盤か都響盤を聴いてしまいそうな感じも。
どうしましょうか。
ブルックナーをたっぷり聴いているうちに素顔の朝比奈隆をもう少し見てみたいと言う気分になりました。本棚の1冊の本、朝比奈隆の評伝に手を伸ばしました。
以前記事に書いた「嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 」(「嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 」 斎藤秀雄の生涯とサイトウ・キネン・オーケストラ)の著者中丸美繪さんの作品、「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」です。
前作では斎藤秀雄の生い立ちや父、祖父などの影響が彼の指導法に繋がっていったことが描かれていましたが、朝比奈隆の評伝でもその複雑な生い立ちの秘密などが語られそれから彼の長い指揮者としての人生が解き明かされていきます。これまた読み応えのある評伝でした。今日はじっくりと読み返してみよう。
オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練 (中公文庫)
「九十三歳で死去するまで、現役の指揮者としてタクトを振りつづけた巨匠・朝比奈隆。自ら「長生きこそ、最高の芸術」と言い切り、存在そのものが日本のオーケストラ史であった生涯。その光と陰を描く決定版評伝。第二六回織田作之助賞大賞受賞作」(Amazon 商品の説明 より)
