オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団 ベートーヴェン交響曲第6番『田園』  | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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以前の記事に書いたこともありますが、私が最初に買ったクラシックのレコードはジョージ・セル/クリーブランド管の『運命/未完成』で、その次に手に入れたのが、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン交響曲第6番『田園』でした。

オットー・クレンペラー 圧倒的なスケールの音楽



東芝EMIの赤く半透明のLPレコードが印象に残っています。


美しい音でした。

その後に聴いた他の『田園』と比べ、ちょっと素っ気ないような演奏だったようには思うのですが、でも聞き終わったとき残っている物はとても大きく強いものでした。


この演奏、しばらく聴いていないな。
突然とても聴きたくなってしまいました。。


あのレコードはもうありません。傷だらけになるまで聴いていたレコードでしたがいつの間にか手放してしまいました。

今はCDで。

今日はクレンペラーのベートーヴェン交響曲全集でも聴いてみようか。


「オットー・クレンペラー

クレンペラーの音楽は録音で聴くことができるように、美しさを求めるよりも厳格なテンポで楽曲の形式感・構築性を強調するスタイルでよく知られているが、若いころの録音には違うアプローチも見られる。

ポーランドのヴロツワフ(当時はドイツ領ブレスラウ)に生まれ、4歳の時にハンブルクに移り、同地で少年時代を過ごした。
音楽教育はハンブルク移住後、母親に手ほどきを受けた事にはじまり、その後進学した音楽院では作曲とピアノを専攻する

22歳でマーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者になる。
ハンブルク、ストラスブール、ケルン、ヴィースバーデンの歌劇場で指揮者を務める。
1924年にはベルリンフィルにデビュー、好評を博するようになる。
1927年にはウンター・デン・リンデン国立歌劇場に付属するクロル歌劇場の監督に就任する。
ここでの革新的な試みは話題となるが、経済の急速な悪化とナチスに代表されるドイツ復古主義の台頭もあり、1931年には劇場は閉鎖される。
ナチスが政権樹立に伴いクレンペラーはアメリカに亡命。
ロサンゼルスフィルの指揮者となり、オーケストラの水準を大きく向上させる。
脳腫瘍に倒れたクレンペラーは、言語障害や身体のマヒといった後遺症との戦いを余儀なくされ、ロサンゼルスフィルの職も失うことになる。

その後、1954年(69歳)にフィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者になったクレンペラーは、数々のレコードをリリース。
1973年、戦後から定住していたチューリッヒで亡くなった。」


クレンペラーの演奏で私が好きなのは、ベートーヴゥンの交響曲の他は、

マーラー 大地の歌、
ベートーヴェン 荘厳ミサ曲、
バッハ  ロ短調ミサ曲、
メンデルスゾーン スコットランド、

・・・他にも色々ありますね。


クレンペラーの演奏の特徴、と言えば、遅いテンポ、とてつもないスケールの大きさ、(そのくせ、他の指揮者が粘るような所はすごくあっさり演奏することが多い。これは、・・・へそ曲がりなだけかも(笑))


好きな指揮者です。
忘れられない指揮者です。