北海道弁講座(?笑) その5 「手袋を履く」に関する一考察 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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この「北海道弁講座(?笑)」は、以前に別なブログに投稿した記事を一部編集してここに再録しているのですが、「北海道弁講座(?笑) その1 「なまら」」を最初に投稿した時に、

ある方からから
「なるほど!「なまら」のルーツは新潟弁だったんですか!うちの旦那さんもあまり使わないです。でも、棒のことを「ぼっこ」と言います。この言葉、響きがカワイイのでわたし好きなんですよ(笑) 」
とコメントをいただきました。

この方は沖縄出身の人でしたが、ご主人は札幌出身の方だったんです。

そうか、「ぼっこ」って北海道弁だったのか、とちょっとびっくりしました(笑)
だって私も普通に使ってますから(笑)

(東北弁ではわりと名詞の後ろに「こ」をつけることが多いですから、「ぼっこ」もそこから来ているのでしょうね。)


その「ぼっこ」で思い出したのが・・・

「ぼっこ手袋」って分かりますか?


親指以外の4本指の部分が一つになった手袋のこと、「ぼっこ手袋」って呼んでました。

子供の頃、母が編んでくれた「ぼっこ手袋」
おっきくてね。
手首のところからさらに5㎝くらいある手袋。
普通の5本指の手袋を履いた上から、この大きな「ぼっこ手袋」を履くと
上着の袖の端の部分まですっかり手袋の中に入ります。

もう完全防備(笑)

吹雪の時でもぜんぜん寒くないんです。


でも・・・
かっこ悪くて(爆)
出来れば使いたくなかった(笑)


「手袋、ちゃんと履いた?あんたすぐ風邪ひくんだから。暖かくしてかないとダメ!」

あらら、また怒られちゃった(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さきほどから、手袋を履く、と書いています。
北海道では、手袋は、履く物です。

って、これ大人になるまで当たり前のことだと思っていたのですが、

勤めてしばらくしたとき、
私が、手袋を履く、と言うと
同僚から、

「北海道の人は4本足だったの?」

なんて言われて・・・


ちょっと複雑な気分になったことを思い出します。
(その同僚は東京の人だったか大阪の人だったか・・・忘れましたが。)


「履く、は腰から下に使う言葉じゃないの?」


なるほど、ズボンを履く、靴下を履く、靴を履く・・・
皆、腰から下のことですね。


でもそれじゃ手袋には何を使うの?

つける?

はめる?

う~ん、なんだかしっくりしないなぁ。


手袋をつける、というと、たとえば晩餐会に正装していくとき、みたいな非日常な情景が浮かんでしまいます。


手袋をはめる。・・・。これもやはり靴を履くやズボンを履くとくらべて、日常的に普通に使われる言葉、という感じがしません。なんだか「こなれていない」というと表現が変かもしれませんが、普通と違うことをしている、というような感じがしてしまいます。


普通と違うこと。


思うに、日本人にとって、と言うか日本語にとって
手袋を使うと言うことは、
普通と違うことなのかもしれません。
ですから手袋を使う事を表現するのにぴったりの言葉は生まれなかったのではないかな、と。


東京や大阪の人にとって(と言うかほとんどの日本人にとって)、手袋は無くても生活できる物でしょう。
それにたぶん江戸時代までの日本人は手袋なんて使わなかったんじゃないかな、なんて思うわけです。


でも、北海道人にとって、
手袋を使うことは、
靴を履く、靴下を履くのとあまり変わらないくらい日常的なことですし、無くては生活できないことなんです。


冬に手袋を使わないことは、靴下を履かないで外へ出るのと同じくらい・・・は大げさですが(笑)、ちょっと覚悟はいります(笑)


と言うわけで、北海道に住み着いた先人が
日常の言葉として手袋を使うとき使ったのが、
使い慣れた履く、だったと言うことなのではないか、と。


母の「ぼっこ手袋」の想い出から脱線してしまいましたが
「手袋を履く」に関する一考察、でした(笑)


ま、あまり論理的、な話ではないですが、
言葉の使われた初めなんて、論理的に説明できることばかりじゃない、ですよね(笑)





「ぼっこ手袋」って、ミトンの手袋って言うんですね。