ジョスカン・デ・プレ  Ave Maria | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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以前にこのブログでも紹介していますが、盛期ルネサンスと呼ばれる15世紀後半から16世紀初めにかけての時期、フランドルの音楽家の中でも際だった存在だったのがジョスカン・デ・プレです。

ジョスカン・デ・プレ 「コオロギはよき歌い手」 |

ジョスカン・デ・プレ: Missa l'Homme Armé Sexti Toni Glori |

 

ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez; Josquin des Prés, Josquin des Pres, Josquin Desprezとも綴る。 1450年/1455年? - 1521年8月27日 コンデ=シュル=レスコー(Condé-sur-l'Escaut))は、盛期ルネサンス時代のフランスの作曲家、声楽家。本名はジョスカン・ルブロアット(Jossequin Lebloitte )。
ジョスカン・デ・プレは当時の全ての作曲技法を見事なまでに意のままに操っており、存命中既に著名な作曲家であり、現在ではその時代の最も優れた代表者であったと看做されている。
ジョスカン・デ・プレ - Wikipedia より引用

 

15世紀から16世紀にかけての時代、フランドル各都市の大聖堂付属聖歌隊で多くの音楽家が養成され全ヨーロッパの宮廷や教会に派遣されていました。ある意味フランドルの音楽家がいる、と言う事がステイタスの様な物だったかもしれませんね。と考えるとパレストリーナ以前にイタリア人の大音楽家がほとんど登場していないのも分かるような気がします。バロックや古典派の時代はイタリア人の音楽家、あるいはイタリアで成功した音楽家を雇うことがヨーロッパ各地の貴族や宮廷、教会などにとってステイタスでした。バッハが生前は地方の目立たない作曲家の1人に過ぎなかったように、あるいはモーツアルトがウィーンで重要なポストには就けなかったようにドイツ人の音楽家でイタリアでの実績が無い人はいくら才能があっても冷遇されていました。たぶん同じようにルネサンス期にはフランドルの音楽家がブランドでありステイタスだったのでしょう。それは厚い壁になってドイツ人はもちろんイタリア人の音楽家もなかなか芽を出すことができなかったのではないでしょうか。(まあこの辺は全部私の想像にすぎません。実際の所はどうなのでしょうか。)

ギヨーム・デュファイの登場から始まったフランドル音楽の伝統は美術の世界でレオナルド・ダ・ヴィンチらが登場した盛期ルネサンスの時代、やはりその最盛期を迎えます。その時代を代表する、そしてルネサンス音楽全史を代表する音楽家がジョスカン・デ・プレでした。
 

当時の人々は、ジョスカンの作品を音楽の範とみなして、深い賛辞をささげていた。あの宗教改革者マルティン・ルターでさえ、「他の音楽家たちは音に支配されているのに対し、ジョスカンのみは音を意のままに支配する」とたたえているのである。
(皆川達夫著「中世・ルネサンスの音楽」より引用)

 

多彩なテクニックを駆使しながらも常に自然で均整のとれたプロポーション、明晰な表現を持った彼の音楽は聴く度に新鮮な感動を運んできてくれます。まさにルネサンス音楽を代表する音楽という言葉が大袈裟な物では無いと言うのを実感してしまいます。


そう言えば豊臣秀吉が初めて聴いた西洋音楽の中にジョスカンの曲があったとか。

戦国時代が収束したばかりの日本でルネサンス音楽はどのように響いたのでしょうか。