自我は自分を守るためのけなげなものでもあり、自我を生きる時期もあってもちろん良いのだけど、ずっとそれでは辛いし、せっかく魂の成長ができる地球に生まれたのに人生が勿体ない。
人間の死亡率は100パーセントです。
遅いか早いかの違いがあるだけで、全ての人は間違いなく死に向かっています。
私たちは、健康に生きていることを当然のこととして受け取っています。
「死」に直面したときに初めて、命がいかにはかないものかを知ります。
それまで、ほとんどの人は刺激に反応して日常を機械的に生きているだけなので、死は他人ごとなのです。
世の中には、自分に全く問題や悩みがないという人がいます。
しかし、不安や恐怖などの抑圧された情動(感情エネルギー)は、無意識の底にしまい込まれているので本人は気がつきません。
そして、人生の危機に直面した時に、否定的なエネルギーが無意識の層から浮上して、問題がないと思い込んでいたその人はパニックに陥ります。
80年代のエイズは治療法がなく死の病でした。
エイズの感染は死刑の判決と同じことでした。
ところが、エイズ陽性と診断されてのちに陰性となり完治した女性がいます。
彼女の名はニロ・マルコフ・アシスタントといいます。
これ以降、彼女を「ニロ」と呼びます。
彼女の体験は「どうして私はエイズから生還したのか―NIRO(ニロ) からのメッセージ」(絶版)として出版され、医療関係者向けの講演で来日もしました。
1985年11月にニロはエイズ検査で陽性と診断され、あと十八ヶ月生きられれば幸運だと医師から宣告されました。
ニロがエイズウィルスに感染したのは、バイセクシュアルの恋人からでした。
1981年に、アメリカで同性愛者の男性に初めてエイズが報告されてから世界中にエイズ感染が広まりました。
2017年、全世界で3,690 万人のHIV感染者がいて一年間で新たに180万人が増えています。
エイズに感染したことを知るとニロはパニック状態になりました。
ニロは神秘家OSHOの弟子で、ニュージャージー州で瞑想のファシリテーターとセラピストをしていました。
しかし、彼女の瞑想は不十分で、マインドの次元を水平移動しているだけでした。
マインドの自分を俯瞰できる次元までアセンション(次元上昇)していなかったのです。
一般的に精神的混乱が長く続くと今までの自我では適応しなくなるので、境界が揺らいで崩壊するアイデンティティの危機が訪れます。
新しい環境に適応するには、古い自我の殻を脱ぎ捨てなければならないのです。
自我の死と再生のプロセスは次の三つの段階を経過します。
第一段階 旅立ち
第二段階 死と再生のイニシエーション
第三段階 帰還
最初に起きる感情は否認です。
つよい否定の感情が湧きます。
ニロも「なぜわたしが」という思いで心がいっぱいになりました。
自我の境界がゆらいでいるので、抑圧してきた情動(感情エネルギー)が意識の表層に上ってきます。
「うそだ、信じられない。何かの間違いであってほしい」
様々な思考が次から次へと湧いて来ます。
当時は エイズが他の人に感染させる可能性が大きいと考えていました。
「どうして自分がこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか」と様々な感情が湧いてきました。
共同体の人々に拒絶され村八分にされてしまうこと、
恋人に捨てられるのではないか、
子どもたちに感染するかも知れない
と考えることは発狂してしまうほどの恐怖でした。
自分が使いものにならない野菜のように朽ち果ててしまうのも怖かったのです。
自分に敬意を払ってくれない周りの人々への敵意、
「自分を見捨てた」神への怒り、
やり場のない感情が怒りとなって噴出しました。
ニロは恐ろしいウィルスを自分に移し、その上隠さずに正直に話してくれなかった恋人に、激しい憤りを抑えることができませんでした。
共通の会話がなくなり、恋人はよそよそしい態度になって、ニロを避けるようになりました。
ニロと恋人との関係は悪化していきました。
怒り、恐怖の奥には愛の否定、心の痛みがあります。
子供は成長するときに両親から愛されることを経験します。
しかし、あるがままの自分を両親に否定されると、自己は分離して偽りの自我(マインド)を自分と思い込みます。
偽りの人格(マインド)にエネルギーを浪費して生き続けます。
偽りの自己は解消していない心の痛み(トラウマ)を抱えているので、危機が訪れると強い不安と恐怖にさらされます。
自我には自己防衛機制があり、自己イメージが崩れると、不安から逃れようと必死に思考を働かせます。
マインドは思考エネルギーを強くして感情を感じないようにします。
怒りや恐れ、不安の感情が幸福を邪魔する物と考えてしまうのです。
メロドラマに入って、あるがままの自分と直面することを止めてしまうのです。
ニロは恋人が才能豊かな詩人で、舞踊家なので思索するために自分から離れて一人静かになりたいのだと、合理的に考えるようにしていました。
子どもの頃のニロは怒られると、まったく反発せずに、黙りこみ、かわいそうな印象を相手に与えて、自我の殻の中に引っ込んでいました。
暴力を恐れて避けるため、思考を働かせて内面にこもるのがニロの自己防衛の方法でした。
ニロは病気になったことを恥ずかしいと思っていました。
健康で有能な講師の自己イメージを維持するために、感情をおさえ葛藤を内部にしまいこみ苦しみを隠そうとしていました。
マインドは弱さを見せたり、あるがままの自分になることは怖いのです。
ニロのマインドは、思考エネルギーでフル回転となり罪悪感と恐れ、恥辱というマインドの罠にはまって、袋小路に入ってしまいました。
一体何が起きているのか把握できず、現実と非現実の境界がゆらいで方向感覚を失ってしまいました。
ニロは海のそばに住んでいたので、毎日寄せては返す波を眺めていました。
生命の自然のサイクルは昼と夜、夏と冬、死と誕生と休むことなく繰り返しています。
ある日、海を眺めているときに「ありのままの生き方を続けなさい。この経験は貴重です。そして、いま起こっていることから何かを学びとるようにしなさい」と静かにささやく声が聞こえました。
あらゆる危険は わたしたちに目覚める機会を与えてくれます。
死の宣告を受けて、ニロの意識は研ぎ澄まされました。
ニロは、毎日が非常に大切に思われて、すべてのことに対して優先順位を並べかえることにしました。
そのトップに自分を置くことにしました。
エイズ感染を、自分の意識の成長と進化のための最後のチャンスにしようと決心したのです。
一生懸命に自分をコントロールすることをやめて、それまで、とても受け入れることができなかった「死」という事実を受けとめる気持ちになりました。
戦いと抵抗をやめて、あるがままにまかせることにしました。
ニロは常に「こうしなければだめだ」「あれをしてはだめだ」と自分を裁いていました。
わたしは、愛される価値がない。
誰も自分を必要としていない。
私は天国にいけるわけがない。
自己肯定感が低い人は分離感が強いので、否定性の中でエネルギーは低下しています。
偽りの自我を選択した結果、分離されたエネルギーは不安、恐怖、怒り、悲しみとして微細な身体の低次のエネルギーセンターでとぐろを巻いています。
心理学ではそれをブロックと呼んでいます。
自分の否定的な感情を受け入れたニロの心のダムは決壊して、情動が抑えきれずに次々に流れ出しました。
エネルギーが大量に放出された後は、穏やかで静かな沈黙が訪れました。
ニロの個性は大海に融合する雨水のように全体の中にとけ込んでいきました。
境界は消え、海、空、そして飛んでいる烏の中に溶け込んでいました。
時間はなく、完全だけがあり、どのようにして家まで帰りついたか、そして、その後何をしたか、まったく覚えていませんでした。
いつのまにかニロは肝臓、胃、膀胱などの自分の内臓器官が見えるようになっていました。
しかも内臓が黄緑になって悪臭を放っているのがわかったのです。
ニロは身体と精神の不快な症状は、すべて身体の自浄作用だということを学び、ニロはすべてをあるがままにまかせようと考えました。
自分の気に入るように変えようとするのではなく、エイズで死ぬという現実さえもありのままに受け入れたのです。
避けることができない不快な状況が起きても、NOを言わずにすべて許すことにしたのです。
ニロは自分の生命に対して自分で責任を持つことができるようになりました。
許すということを通じて、過去は変えられないけれども、過去が現在に与える影響は変えられることを学んだのです。
今この瞬間にくつろぐようになり、季節のうつり変わりのように自分の感情を眺めるようになっていました。
今ここの神聖さにゆだねることで、過去の記憶から解放され真の自由を体験できるようになったのです。
ニロは自分の気に入るように変えるのではなく、そのときそのときの自分をありのままに受け入れました。
頭ではなくハートに人生をゆだねたのです。
そして、不可能であると考えることをやめて、可能であると考えたことは肉体的にも精神的にも、あらゆる努力をおしみませんでした。
すべてを受け入れると言うことは、可能性も受け入れるのです。
九州大学・心療内科 池見酉次郎教授は、ガンの末期患者の考え方や生き方すべてが変わって、がんが自然退縮することを「実存的変容」と言っています。
ユングは病気になって、そこから回復することを、「魂のひとつの成長のステップ」と言っています。
ニロに起きたことはまさしく「実存的変容」であり「魂の成長」でした。
ニロは自分の不快な症状を「目覚めのための呼び掛け」と言っています。
不快な病気は目を覚ます為の目覚まし時計の役割をしてくれました。
エイズ感染を自己成長と進化のチャンスととらえました。
ニロにとってエイズは自分を目覚めさせて真の自由をもらしてくれる存在からの最高の贈り物でした。
ニロはOSHOから「人生という神秘の流れに逆らって進もうとせず流れのままにまかせる」ことを学んでいましたが、頭だけの理解だったので実際はコントロールされないようにすべてをコントロールしていました。
マインドの次元にとどまっていたのです。
マインドを超えるにはアセンション(次元上昇)して第4身体(メンタル体)を超えなければなりませんでした。
「わたしがこの病気を作ったのだから、自分でそれを治すことができる」この素晴らしい真実は、マインドのレベルになるとネガティヴになり病気を生み出した自分に対し罪悪感をもたらしました。
瞑想をするとニロの心の中は、怒り、恐れ、絶望、無力感、罪悪感、孤独感が渦巻いていました。
そして自我は臆病なので、慣れ親しんだ古い自分を放棄することに恐怖を感じました。
助かる道は、ただ一つ自分でまいた過去の悪夢をたち切るより他に方法はありませんでした。
マインドは起きている事実にストーリー(解釈)を持ち込みます。
日常生活のマインドの状態は不快な事や失敗してた過去にこだわります。
そしてそれを未来に投影して不安になっています。
瞑想をして病気を治そうとする行為は、マインドの次元を水平移動します。
何かをしてどこかに到達しようとする行為は、いまここではありません。
瞑想は努力することなく、いまここにくつろいでいる状態です。
今この瞬間に生きると言うことは、過去の記憶から自由になることです。
過去は過ぎ去ったことなので、自分の中で過去に起きた事実は絶対に変えられません。
過去は変えられないけれども、過去が現在に与える影響は変えられることをニロは学びました。
それは罪悪感からの解放を意味していました。
思考に同化することをやめて思考や感情が次から次へと現れては去ってゆく事を見て取ると、すべては存在からの愛だということに気がつきます。
それが瞑想です。
今まで思い込んでいた世界は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
ただ自然に風が吹き雲が湧いて雨が降るように心の中の感情や思考もまた自然に起きています。
喜怒哀楽の感情も雨や嵐が来るようにただ自然に起きているだけなのです。
ニロは今ここに生きること、つまり、あるがままの自分を受け入れて、その瞬間、その瞬間の人生に起きる最高の贈り物にイエスと言って生きることを学んだのです。
ニロがしたことは、今ここにくつろいで、近づいている死という現実を受け入れることでした。
ニロは「死」を受け入れて、毎日毎日、これが人生最後の日だと思って大切に生きたのです。
そして物事をありのままに受け取るという新しい認識によって生活の質を変えたのです。
ニロは最初、投げやりになり「もうすぐ死ぬのだから、何も気にすることはないわ」と好きなチョコレートやアイスクリーム、また太りそうな食べ物を腹いっぱい食べていました。
自分を大切にしていない事に気づいた後は、砂糖、カフェイン、その他の加工化学食品をやめビタミン、ミネラル、糖質、脂質をバランスよく吸収するダイエットに変えました。
そして毎日海岸を散歩して、太極拳をして、太陽が昇るのをみながら呼吸法とハミングする瞑想を毎日継続したのです。
検査をするとニロの身体に巣食っていたエイズは陰性になっていました。
人生という神秘な流れの中で文字どうり完治したのです。
生まれなければ死はありません。
死を恐れる前に目を覚まして生きるのです。
生きることを大切にしなければ死ぬこともできないでしょう。