ご好評頂いている「漢方とわたし」 第三回をお届けします。
このシリーズを始めてからやけに昔のことを思い出します。
そしてその記憶は決して好ましいものではありません。
(楽しいことってすぐ忘れますよね。。。)
そう、
思い出すのは失敗談ばかりです。
あのときこんなことしちゃった・・・
あんなこといっちゃった・・・
するべきではなかった
いうべきではなかった
そんな記憶の海に今わたしは浮かんでいます。
前置きが長くなりました。
早速本題に入りましょう。
大学卒業とともに実家のある東京に戻りました。
そこに至るまでの経緯も、その後のわたしの行動にかかわってくるので書いていきます。
大学4年時、
学部長推薦を頂き、とある病院に就職が内定していました。
そこは子供の精神疾患に強い病院でした。
(今飲んでいる漢方です エキス剤のミックスを処方してもらってます)
希望する職種に内定できたのと、
実家から離れて暮らすことができるとすっかり安心していました。
そう、
わたしは母の性質を軽くみていました。
世界は自分中心に回っていると信じてやまないという人だということを。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
ある日私は学部長から呼び出しを受けました。
「君の母上はとんでもないことをしてくれたな」と、怒号が飛んできました。
一体何が起きたのかわからず、
キョトンとしたわたしに、
畳み掛けるように学部長は病院側から連絡があったと言いました。
母は就職先が気に入らなかったのでしょう。
無断で就職をさせないと断りの電話を入れいたようです。
事の顛末を聞かされ、
血の気が引いていったのを今でもありありと覚えています。
その場で学部長は実家に電話を入れ母に抗議をしていました。
当然ですね。。。
「学部長推薦の意味を分かっていますか?
あそこの病院から2度とうちの大学に募集はかからないということですよ。
君の家族は後輩の就職口をひとつ奪ったのですよ」
と言われました。
確かにその通りです。
翌年、
寮の後輩が教えてくれましたが、
私の事例がとんでも事例として紹介されたそうです。
その日、
どうやって学部長の部屋から退出したか記憶がありません。
こうやって書いていても「あの時のあの場所」にフラッシュバックして血が引いていきますね。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
当時この騒動を経験して決心したことがありました。
☆必ず障害児関連の仕事につく
☆「会社」をつくって人を雇用する
心の片隅にずーっとこの思いを秘めて生きてきた気がします。
あの日から30年以上の月日が流れました。
だいぶ時間がかかり、ペースものろのろですが
今、
当時決心したことが実現しつつあります。
おお、随分と文字を書き連ねてしまいました。
しかも
今日は漢方の話題がまったく出てきませんでしたね
(写真だけ)
「漢方とわたし」を書きはじめた時にはまったく思いもしない方向に話が行ってます!
そして、このテーマを書くことで人生の一区切りがつく予感がします。
タイトル変えたほうがいいかもしれないですね
次回に続きます。